2014.
03.16
Sun
所在地 :青森県 弘前市 大字 下白銀町2-1 大手門広場内
建築年 :明治39年(1906)、 平成2年に復元
構 造 :木造3階建て
設計施工:堀江 佐吉
見 学 :9:00~17:00、 無料
休 館 :年末年始
交 通 :JR弘前駅前バス乗り場~市役所前バス停~徒歩1分
TEL :0172-82-1642(弘前市教育委員会)

旧弘前市立図書館
 日露戦勝記念として齋藤主や堀江佐吉らが資金を提供し、明治39年(1906)堀江佐吉の設計施工により東奥義塾の敷地内に建てたもので、昭和6年(1931)まで図書館として利用。 大道寺繁禎(第五十九国立銀行の初代頭取)も2代目館長に就任しています。
その後、図書館が移転する事になり、堀江家の子孫に払い下げられ、富野町に移築してアパートや喫茶店に利用されました。
弘前市の所有となった後、大手門前の校舎跡地に市制100周年を記念して平成2年(1990)旧東奥義塾外人教師館と共に現在地に復元されました。
 ※詳しくはコチラ⇒【旧東奥義塾外人教師館
旧弘前市立図書館・裏面
建物の裏面
旧弘前市立図書館・換気口
床下換気口
旧弘前市立図書館・玄関
左:玄関                       右:玄関ホール
旧弘前市立図書館・その他
左:2階から3階に上る階段(3階は非公開)  右:1階 受付・事務室
旧弘前市立図書館・1F館長室・婦人閲覧室
左:1階 館長室                   右:1階 婦人閲覧室
旧弘前市立図書館・2F閲覧室
2階 閲覧室(現在は展示室)
旧弘前市立図書館・明治38年
明治38年頃の様子 (展示パネルより)
旧弘前市立図書館・明治39年
明治39年5月29日の開館式の様子 (展示パネルより)
表の道に並べてある石材は以前あった塀の基壇か? 私立弘前図書館の写真にも同じ様な石材が見られる。 右手奥には東奥義塾の校舎と思われる建物が見える。 
私立弘前図書館
私立弘前図書館:明治30年代の写真 (展示パネルより)
本町1番地(現・東北電力弘前営業所の付近)にあったという。 弘前教育会により創設され、蔵書は市立図書館に移管された。
旧弘前市立図書館・側面

 施主の齋藤主(さいとうつかさ)は西目屋村に不識塔(ふしきのとう1912)を建設した人物です。 不識塔の図案は太田正五郎、製図は花田林蔵で弘前に在住していました。
齋藤主は弘前藩士の長男『徳太郎』として万延元年(1860)に生まれ、書家を目指して東京へ上京しますが巡査となり、函館で英語と測量・天文学を学んで、青森・香川・兵庫の県庁土木課に勤務。 民間の日本土木会社(現・大成建設)でも測量を担当しています。
 そして、明治28年(1895)弘前第八師団兵舎新築工事の主任となった事で弘前に戻り、矢立峠トンネル工事も担当。 その後に独立して駅舎工事などを請け負い、明治37年(1904)に弘前第八師団の病院や厩舎などの建築工事の元請けとなり、堀江佐吉らと共に工事を完成させます。 その請負のお礼と日露戦争の戦勝記念を兼ねて、堀江らと共にこの図書館を寄付しました。
 しかし、裾野村・西目屋村の凶作を救う為、明治36年から多額の私財を投資した開墾が頓挫。 川原平の所有地に米沢から広泰寺を移転させ、明治44年(1911)煉瓦造の本堂を新築し、修業を経て住職となっています。
翌年には塔を建設して、上杉謙信の庵号から「不識塔」と名付けましたが、住民からは「つかさの塔」と呼ばれるようになりました。
 大正8年(1919/12/23)闘病先の東京で亡くなり、その遺体は保存処理をして不識塔の基底部に埋葬されましたが、昭和55年(1980)に火葬され真教寺に埋葬されています。
 この不識塔は、地上20,8m、地下4,85mで宝珠の形をしており、誠に不思議な煉瓦造の塔ですが、長年の風雪により煉瓦の一部が損傷、平成9年(1997)に西目屋村に移管されて応急補修工事が施されました。 現在は鉄の櫓に囲まれて全貌を見る事も、許可がなければ櫓を昇る事も出来ません。
いつか、見た目を損なわずに不識塔を支える工法が開発され、一体化された櫓が取り外されて、山の中にそびえ立つ日が訪れる事を期待しております。
私にとっては足腰の丈夫なうちに、いつかは訪れたい場所の一つとなっています。

◎参考文献 「西目屋村を伝えよう・人物誌 :笹谷柾四郎 著」 ※詳しくはコチラ⇒(広報にしめや 2008.7~2011.3

【2013年7月 訪問】


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