2014.
05.03
Sat
建築年 : 明治26年竣工・明治27年落成。 何度か改修・改築有り
構 造 : 木造 地上2階
施工等 : 川元 重次郎
所在地 : 青森県 弘前市 新寺町1-1
見 学 : 特別公開日、 無料
      上記以外に事前予約で見学可(4月~11月の平日10:00~16:00、0172-32-8545)
休館日 : 12月~3月の全日、4月~11月の土休日、その他の休校日
交 通 : JR弘前駅・桜ヶ丘方面行バス~弘高前バス停 下車
TEL : 0172-32-0251
    ※詳しくはコチラ⇒【弘前高校
鏡ヶ丘記念館
 弘前2日目の建物訪問は、バスの時間にとらわれず効率的に廻るため、観光案内所で貸自転車を借りて、弘前女子厚生学院記念館太宰治まなびの家弘前学院記念館などを巡りました。
 事前に見学予約した弘前高校の事務室を訪ねたところ、訪れた日は野球部の県大会決勝戦との事で、ほとんどの生徒・先生が出払っており、ひっそりとした校内。
職員が記念館の鍵を開け、1人で薄暗く静まりかえった旧校舎の中を見学しました。
 校舎は中心部分だけ残され、他の部屋は解体されておりますが、館内には様々な物が展示されていました。
 かつてこの青森県立弘前高等学校(略:弘前高校)は、明治時代に1府県1校のみ設置された『青森県尋常中学校』であり、皇太子が訪れている進学校です。
当初は男子校でしたが男女共学へ、5年制(4年)3年制に、さらに校名の改称と、法改正のたびに変化をしてきました。
 この学校に在学した人は、実業家や学識者のほか、長部日出雄(直木賞作家)・前田光世(格闘家)・三浦雄一郎(スキーヤー・登山家)・奈良美智(芸術家)などの有名人も。
建築家の渡辺節もこの学校を卒業しています。 ※詳しくはコチラ⇒【綿業会館
 明治26年竣工の校舎は、新館建設のため取り壊される事になりましたが、卒業生の強い要望で解体を免れ、昭和33年に『鏡ヶ丘記念館』として部分保存されました。
 施工者の川元重次郎は、堀江佐吉の下で副棟梁を務め、旧制弘前高等学校なども手掛けた人物です。
鏡ヶ丘記念館・校長室前
1階) 校長室前の廊下。 奥にあるものは電話室。
鏡ヶ丘記念館・旧事務室
1階)当初は事務室⇒大正4年の大改修後から教員室に。現在は弘前中学校の歴史を展示。
鏡ヶ丘記念館・旧図書室
1階) 当初は図書室⇒大正4年の大改修後から教員室に。 現在は教室を再現。
鏡ヶ丘記念館・応接室と時鐘
左: 当初は応接所⇒当直室へ。
右: 授業開始を告げる時鐘。 屋根の後方に設置され、用務員室から綱を引いて鳴らした。
鏡ヶ丘記念館・階段
階段の踏板は丸みを帯び、年月を感じる。
鏡ヶ丘記念館・旧講堂
2階) 当初は講堂⇒図書閲覧室に。 現在は壁で間仕切り、卒業生の書を展示。 
鏡ヶ丘記念館・旧1年級教場
2階) 当初は一年級教場で、平成4年の改築の際に廊下をつぶして一部屋にし、
    弘前高校の歴史を展示している。
鏡ヶ丘記念館・古材
改築の際に取り外された部材
鏡ヶ丘記念館・パネル
左上: 元寺町にあった敷地(明治25年)          右: 新寺町での配置図(明治27年)
左中: 仮校舎とした津軽産業会館(本町倶楽部)     〔展示パネルより〕
下段: 落成時の平面図と現況      〔パンフレットより〕

 現在残る部屋の竣工時の用途は、受付・応接所・校長室・事務室・図書室・講堂・1年級教場でした。 教員室・標本室・博物教場・器械室・理化学教場・図画教場・2~5年級教場の部分は、解体されています。 さらに離れには、体操場・寄宿舎・舎監室などもあったようです。


● 青森尋常中学校 開設期の授業は…
明治19年(1886/6/22)文部省令 第14号
(勅令第15号 中学校令 第7条:尋常中学校ノ学科及其程度の解釈) 
第一条: 尋常中学校ノ学科ハ倫理・国語・漢文・第一外国語(英語)・第二外国語(独/仏)・
   農業・地理・歴史・数学・ 博物(動植鉱物)・ 物理・化学・習字・図畫(図画)・ 唱歌・体操トス 
第二条: 尋常中学校ノ修業年限ハ五箇年トス ~(略)

文部省令 第7号 尋常中学校ノ学科及其ノ程度改正(M27/4/1施行)では、
必須科目であった農業・第2外国語(独or仏語)は除外、唱歌を随意科に下げ、簿記が新たに随意科に加えられました。

● 明治24年には…
文部省令 第27号(1891/12/15)尋常中学校設備規則 第三条
 一 生徒各組ニ應スル通常教室
 一 物理 化学 博物 図畫ノ特別教室
 一 図書室 器械室 薬品室 標本室
 一 講堂
 一 職員室 生徒控室 其ノ他所要ノ諸室等
前項ノ外土地ノ情況ニヨリ体操場ニ充ツヘキ相当ノ建物ヲ設クヘシ

第四条 生徒ヲ寄宿セシムヘキ学校ニ於テハ寄宿舎ヲ設クヘシ ~(略)

…と記載されています。 この中学校令に基づいて校舎の建設が行われたはずであり、尋常中学校の歴史を残す建物となっております。

 ちなみに「学校建築図説明及設計大要」が、文部大臣官房会計課建築掛より、明治28年に発行されています。 青森県尋常中学校は既に完成しており、適用外であったかもしれませんが、当時の指導内容が解る資料です。
 これは尋常小学校から尋常師範学校の設計に関するもので…
校地は飲料水・防火水が豊富に出る場所、体操場は敷地の南か東方、 校舎の形状は長方形か凹凸工、 教室の形状は長方形で南か西南か東南向き、 窓面積は床面積の1/6~1/4、  寒冷地は引違いの硝子戸+障子の2重窓、 暖地は窓下に通風窓、 図画裁縫室等は3方向の採光、 出入口は引戸か外開き戸、 天井高は9尺以上・1階床高は2尺以上、 教室の壁は灰色、天井は板か紙か漆喰仕上げ、 階段には踊り場を設け蹴上5~6寸・踏面8寸以上、 廊下の幅は6尺以上、 昇降口と便所は男女別… との共通仕様になっています。
 さらに尋常中学校の細則では… 便所は100人に対し3箇、物理化学室には暗幕、講堂は校舎の中央に設け出入口は2か所以上、雨中体操場は土間の平屋で天井板は必要なし… と記載されています。


 【弘前高等学校の変移】
明治17年(1884): 『青森県中学校』として東津軽郡青森新町(現・青森市)8/20に設立し、
           10/6に開校式を実施
明治19年(1886): 中学校令-勅令第15号(1府県1校)により9月に『青森県尋常中学校』と改称
   ※明治22年5月に元寺町に移転するが、明治25年6月に校舎が全焼し、
    津軽産業会館(本町倶楽部)を仮校舎として使用
明治26年(1893): 明治24年の改正により1府県1校が緩和され、9/28 八戸分校が開校
           12/12 新寺町に本校の新校舎が竣工し、明治27年の1/11に落成式を挙行
明治28年(1895): 3/16 『青森県第一尋常中学校』と改称
明治32年(1899): 中学校令-勅令第28号により、4/1 『青森県第一中学校』に改称
明治34年(1901): 6/1 『青森県立第一中学校』に改称
明治41年(1908): 9/23 皇太子殿下が来校
明治42年(1909): 4/1 『青森県立弘前中学校』に改称
昭和23年(1948): 終戦での学制改革により、4/1 『青森県立弘前高等学校』に改称
昭和25年(1950): 4/1 女生徒が初めて入学
昭和33年(1958): 旧本館が現在地に移設改築され、8/31 『鏡ヶ丘記念館』完成
昭和34年(1959): RC造の新校舎が落成。 4/30 秩父宮・三笠宮両妃殿下が来校
平成 4年(1992): 平成3年の台風で屋根が損壊した、鏡ヶ丘記念館の復旧工事が5/28完了

【2013年7月 訪問】


スポンサーサイト

comment 0 trackback 0
トラックバックURL
http://mosu3.blog.fc2.com/tb.php/93-0775739a
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top