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2019.
03.17
Sun
所在地:宮城県登米市南方町本郷大嶽18番地
拝観:建物内部は通常非公開
TEL:0220-58-3572
  ※詳しくはコチラ⇒【大嶽山興福寺
興福寺
 興福寺に着くと何やら人で賑わっており、普段は中に入れないはずの観音堂と六角堂に人の姿が。
どうやら2017年(7.15~7.17)催された大嶽山の秘仏・十一面観音の三十三年一会ご開帳を記念して、2018年は建物のみ2日間だけ公開されたようで、ありがたく拝見させていただきました。
 この地は、平安時代に坂上田村麻呂が大嶽丸を退治し、7ヵ所に分葬して祀った観音堂の一つと伝わっています。
興廃・再建を繰り返し、江戸時代は伊達家の祈祷所・羽黒山の修験道場として栄えました。
明治の神仏分離令で一時は箟峯寺(天台宗)の末寺になりますが、昭和15年の宗教団体法を契機に観音堂は興福寺の本堂となりました。
興福寺・観音堂1
観音堂:何度か焼失しており由緒は不明。 伊達綱村の寄進により建設された堂宇も年月を経て再建(一部の材を再利用?)されており、明治21年に落成。 棟梁は小野新左衛門(脇棟梁は長作・勇之進など)
板壁には古代中国24人の親孝行物語の一部(観音堂6話、薬師堂2話)が彫刻されている。
昭和41年に屋根が葺き替えられた。
興福寺・観音堂2
観音堂内の参拝側
興福寺・観音堂3
観音堂の内陣側:2017年の三十三年一会ご開帳(7.15~7.17)を記念して、2018年は2日間(7.14~7.15)だけ特別開放され、普段入る事が出来ない場所が拝観できたので、許可を得て撮影。 こちらも六角堂と同じく天井画がある。
この2日間は大嶽山の秘仏・十一面観音のすぐそばで写経もできたようだ。
興福寺・薬師堂y
薬師堂:明治31年再建。 彫刻の色彩など近年に修復されたか。
興福寺・倉庫
書院の裏庭にある倉庫は独特の造り
興福寺・曼荼羅
檀家の高橋一男氏が隠居後に描いたという曼荼羅は、とても細密に描かれている。
ご子息の説明によると2枚の曼荼羅は92歳と94歳の時に完成させ、100歳で亡くなられたという。
他に描いた仏画は、十一面観音の三十三年一会ご開帳(2017.7.15~7.17)のポスターに採用された。
興福寺・洞窟
防空壕の様な穴の奥には観音様が祀られていた。
観音堂の下に大嶽丸の体の一部が埋められたとの伝承があり、その真下に彫られた穴はいつの時代のものだろう。

※興福寺その他の建物についてはコチラ⇒【六角堂

【参考文献】
「宮城県の近代和風建築」宮城県教育委員会 2016

【2018年7月 訪問】
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2019.
03.03
Sun
所在地:宮城県登米市南方町本郷大嶽18番地
拝観:建物内部は通常非公開
TEL:0220-58-3572
  ※詳しくはコチラ⇒【大嶽山 興福寺
興福寺
 旅をする際にいつも利用するJR東日本「えきねっと」(インターネット販売)
その会員数1千万人達成を記念して、2018年に会員限定「お先にトクだ値スペシャル」が発売されました。
管轄の新幹線一部列車が50%引との事ですぐに完売していましたが、運良く7月の「やまびこ号」の切符が取れて宮城へ。
更にJRレンタカーを借りて、以前から気になっていた登米にある六角堂へ行く事にしました。
興福寺・六角堂1
 興福寺に着くと何やら人で賑わっており、受付の誘導のまま書院へ。
その脇には六角堂が建ち、普段公開されていないはずの六角堂内部に人の姿が! 外から見るだけと思って来たので思わず興奮。
どうやら2017年(7.15~7.17)催された大嶽山の秘仏・十一面観音の三十三年一会ご開帳を記念して、2018年は建物のみ2日間だけ公開されたようで、ありがたく拝見させていただきました。
興福寺・書院2
中座敷:檀家や参拝客の休憩処として利用
興福寺・書院3
奥座敷:明治20年以前の建物と云われ、奥座敷・角座敷・納戸・中座敷・二階下・お歯黒部屋という間取りの客殿
興福寺・書院4
奥座敷の違い棚
興福寺・書院6
色ガラスと精巧な欄間細工という、洋と和の競演
模様入りの摺ガラスは、明治35年の高橋是清邸(江戸東京たてもの園)のガラス障子と同じ柄であり、当時流行していたもの。
興福寺・書院8
左:床の間と付け書院                
右:付け書院の裏手にある洋風窓の半円はフェイク
興福寺・書院10
建物裏手にある広縁の雨戸を開けると色ガラスに光が差す(手前に洋風窓)
興福寺・書院7
二階下:屋根裏の2階は物置か
興福寺・書院9
表側の戸袋は立派な造り。 当初は白く塗られていたのだろうか。
興福寺・六角堂2
左:客殿から六角堂への階段            右:和洋折衷のベランダ
外壁や木部などは近年になって修復されている
興福寺・六角堂建具
当初からある鎧戸
興福寺・六角堂3
六角堂:土蔵造り2階建て 何度か改修あり
明治16年起工、明治17年上棟。 観音堂の脇棟梁を務めた鈴木長作が棟梁となり施工した。(脇棟梁は内舘倉之助・金野忠三郎)
観音堂の工事中に本尊を安置していたが、観音堂落成後は持仏堂となり、1階は永代供養堂として使用。
屋根は木羽葺き→本瓦葺き→銅板葺き(大正12年)に改修されている。
1階床は昭和8年にコンクリートに改修され、外壁1階は漆喰→人造石洗出し仕上げになった。
さらに近年になって屋根の銅板葺き替え、木部の交換補修、外壁塗り替えが行われたようだ。
興福寺・六角堂6

興福寺・六角堂7
老夫婦が鶴と太陽を拝んでいる欄間彫刻
興福寺・六角堂4
仏像上の舟底天井は意外とシンプル
興福寺・六角堂5
左:柱に描かれた不思議な模様           右:伊達家の家紋が見える

※興福寺その他の建物についてはコチラ⇒【観音堂

【参考文献】
「宮城県の近代和風建築」宮城県教育委員会 2016

【2018年7月 訪問】
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2019.
02.17
Sun
三井記念美術館『三井家のおひなさま』
会期:2019年2月9日(土)~4月7日(日)
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30迄)
休館日:月曜,2/24(但し2/11,2/25は開館)
入館料:1,000円(大人)
所在地:東京都中央区日本橋室町二丁目1番1号 三井本館7階
TEL:03-5777-8600

CIMG3210.jpg
 毎年楽しみにしている、三井記念美術館「三井家のおひなさま」展  ※詳しくはコチラ⇒【三井記念美術館
今回は三井家に加えて、京都・丸平文庫所蔵の人形が展示されています。 
それらの市松人形や子供人形は、私が好きな平田郷陽の作品でした!
その中でも特に心惹かれたのは、「凧」「つぼみ」「三吉」の3体。
三井依子氏(新町三井家)が所有した「(個人蔵)」は昭和6年に完成した男の子の人形で、何度もその顔を見たくなるほど素晴らしいものです。
依子氏もこの人形に魅せられたのでしょうか。 チラシに掲載されている「つぼみ(個人蔵)」は翌年に作られていて、これまたすごく可愛い。
また「三吉(丸平文庫蔵)」もとても良い人形です。
そして、庶民風な女の子「」。 実は平田郷陽の弟・平田陽光の作品で、とても気になる人形です。
この人形の足元にいた木彫りのウサギは、現代の人形師・﨑山智水.作との事で、入口に展示されている賀茂人形も同じ氏の作品でした。
その他にも毛植の狆(犬)が幾つかいて、人形好きにお薦めの企画展となっています。
※丸平文庫と平田郷陽・崎山智水の作品についてはコチラ⇒【丸平文庫


 美術館のある三井本館は、設計:Trowbridge and Livingston、施工:James Stewart により、昭和4年(1929.3.23)竣工。
鉄骨鉄筋コンクリート造、地上7階(竣工時は5階)地下2階の建物で、三井記念美術館内では旧食堂と小金庫の扉を観る事ができる。


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2019.
01.27
Sun
所在地:東京都大田区池上1-1-1
アクセス:東急電鉄・池上駅~徒歩約10分 or 都営地下鉄・西馬込駅~徒歩約12分 or
JR大森駅前~バス「本門寺前」下車~徒歩約5分
TEL:03-3752-2331
  ※詳しくはコチラ⇒【池上本門寺HP
池上本門寺
 日蓮聖人が弘安5年(1282) 療養のため常陸にある温泉へ向かう途中、この地にあった池上宗仲の館(現:本行寺)で入滅。
荼毘され、遺灰が安泰されました。
池上宗仲が寺域を寄進して長栄山本門寺が開基されて以降、徳川家や加藤清正らの庇護を受け、大伽藍を形成する大本山に発展しましたが、昭和20年の空襲で殆どの建物が焼失。 五重塔・多宝塔・総門・経蔵だけが延焼を免れました。
池上本門寺・五重塔
五重塔:棟梁・鈴木近江守長次らにより慶長13年(1608)上棟したが、慶長19年の大地震で傾き、元禄15年(1702)現在地へ移築。
その後も何度か修理が施され、平成の大修理(1997年着手~2002年完了)で解体修復工事が実施された。
池上本門寺・経蔵
経蔵:天明4年(1784)再建され、昭和7年(1932)棟梁・小木新七が修復している。
多宝塔の棟梁・小木新七(藤原信盛)は池上本門寺の宮大工であり、嘉永6年の五重塔修理は小木新七(藤原信久)、この経蔵修理は小木新七(薫雄)と、代々襲名した棟梁達が手掛けた。
内部にある八角輪蔵の中に一切経が納まり、輪蔵を発明した傳大士と二子普建普成像(笑仏)が安置された。
桐の抽斗は戦後に改造されており、後に安置された御前立の仏像は2012年1月に盗まれてしまった。
池上本門寺・経蔵内
経蔵内部:ちょうど自動車の安全祈願をされており、内部を拝見する事が出来た。(2017年9月撮影)
奥に見える八角輪蔵は毎年4/28の千部会で子供が回したというが、現在は廻す事が出来ないようだ。
この様に古い輪蔵を回せる寺は少ないが、過去に東京文化財ウィーク特別公開で増上寺へ行った際に、経蔵内にある輪蔵を廻す事が出来たので驚いた事がある。
池上本門寺・多宝塔
日蓮聖人.荼毘跡に建つ多宝塔(木造、基壇と蓮華座は石造)
 当初は荼毘跡に御灰堂が建てられ、その後に多宝塔が完成したが、これは江戸後期に再建された建物で、近年まで遺灰が奉安されていた。
修復も何度か行われたが、避雷針引込部からの雨漏りや、床下の傷みが激しくなり、吉田嘉明氏からの寄付金を受けて平成の大修理を実施。
その事前調査により、外部胴身の亀裂・木部腐朽・彩色や漆の剥離・鏡天井の破れ・小塔の勾欄欠失・折り上げ格天井破損などが判明した。
今回は平成21年(2009)10月に修復現場が一般公開された時の様子をご紹介。
池上本門寺・多宝塔修復1
修復工事中に掛けられた素屋根(修復監理は文化財建造物保存技術協会)
池上本門寺・多宝塔修復5
色彩の修復作業中(材料の岩絵具や膠など)
池上本門寺・多宝塔修復3
色彩が施された斗棋
池上本門寺・多宝塔修復7
作業の様子
池上本門寺・多宝塔修復4

池上本門寺・多宝塔屋根
葺き替えた銅板屋根は黒漆塗りに復元された
池上本門寺・多宝塔修復6
相輪などは補修後に金箔押しされた
池上本門寺・多宝塔修復2
多宝塔内部の様子:膠水による色彩の剥離止めが行われ、この後に漆塗りが施された。
四天柱の上部は当初の色彩が残り、柱下部の漆は3回塗り替えた事が判明している。(壁の鏝絵は明治時代と推測されている)


 多宝塔再建は文政11年に上棟、文政13年(1830)建立し、内部の小塔も完成したようで、10体の瑞亀が支える小塔の蓮華座には文政13年の墨書きがあります。
五五〇遠忌の天保2年(1831)に法要が行われますが、天保10年(1839)まで内部の彩色作業が続けられた事が四天柱の柱貫内側の墨書きにより判明しています。
さらに小塔内に納まる厨子は嘉永年間に完成。 嘉永4年に多宝塔外部の漆塗り胴身部に金属板を巻く修復が施されています。
この多宝塔は小木新七(藤原信盛)が棟梁となり、当時の住職が伊豆国土肥から呼び寄せた平田幸助らも参加して完成しました。
石造の基壇に建つ、木造の胴身部は漆塗り仕上げ。 内部は漆塗りの床に、彩色と漆塗りが施された四天柱が建ち、折り上げ格天井には金箔貼の上に草花が描かれています。(柱外は金箔貼の鏡天井) 中心に納まる宝塔形の小塔(木造)には、厨子に入った舎利器が納められていました。
 多宝塔は明治43年に納骨堂(部分)として用途申請され、昭和初期まで下層天井裏や床下に信者の遺物(遺骨や遺髪の一部・写経・持仏)を泰安。
昭和20年4月の空襲で、池上本門寺境内50棟余りを焼失した中、五重塔・総門・経蔵と共に焼失を免れています。
 何度か修復が行われており、明治22年頃と昭和6年頃に四天柱や小塔の修復がされたと考えられ、昭和の大修理(1971~1973)には屋根葺き替え、床組・小屋組の修理、外の彩色一部と漆塗り替え、胴身部の金属板を撤去して赤漆塗りに復元しています。
 平成の大修理(2007年11月着手~2010年3月完了)では…
外部は彩色や漆の塗り直し、銅板屋根葺き替え、柱・床下・小屋組などの木部修理。桟唐戸欄間を井桁橘に戻す復元など。
内部は漆の塗り直し、四天柱の彩色剥離止め、天井の金箔貼り和紙張替え、壁の鏝絵や金物の補修、小塔の解体修理など。
近代に設置された火災報知器・避雷針は更新され、電気設備と雨落ち排水溝を新設しています。
多宝塔修復が平成22年3月に完了すると、日蓮聖人の数珠、施主の写経、新設の木棺に移した信者の遺物などが6月に泰安されました。

【参考文献】
池上本門寺HP/解説板
「池上本門寺宝塔保存修理工事報告書」文化財建造物保存技術協会 編著 2010 池上本門寺
「池上本門寺」1966 日本美術社

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2019.
01.13
Sun
所在地:東京都大田区池上1-1-1
見 学:通常非公開(年一回程度、公開)
アクセス:東急電鉄・池上駅~徒歩約10分 or 都営地下鉄・西馬込駅~徒歩約12分 or
JR大森駅前~バス「本門寺前」下車~徒歩約5分
TEL:03-3752-2331
  ※詳しくはコチラ⇒【池上本門寺HP
松濤園1
 江戸城無血開城に対し、西郷隆盛と勝海舟は何度か会見しているようですが、その一つが池上本門寺本坊の庭であったと云われています。
その四阿は残っていませんが、年一回この庭が公開され、園内を散策する事が出来ます。
松濤園6
 長栄山 池上本門寺は日蓮宗大本山の一つであり、幾つか子院がありました。
日蓮聖人の入滅地である本行寺も子院ですが、西郷隆盛は理境院(旧:崇安寺)を陣営の宿舎としていたようです。
松濤園2
 日蓮聖人が弘安5年(1282) 療養のため常陸にある温泉へ向かう途中、この地にあった池上宗仲の館(現:本行寺)で入滅。
荼毘され、遺灰が泰安されました。(遺骨は見延山に帰る)
 池上宗仲が寺域を寄進して長栄山本門寺が開基されて以降、徳川家や加藤清正らの庇護を受け、大伽藍を形成する大本山に発展しましたが、昭和20年の空襲で殆どの建物が焼失。 五重塔・多宝塔・総門・経蔵だけが延焼を免れました。
本坊の庭園(松濤園)にあった茶室等も全て焼失しましたが、池泉回遊式庭園は残っています。
松濤園3

松濤園・松月亭
松月亭:平成元年(1989)完成。 高台にある四阿で、茶会では立礼席として使用される。
松濤園・松月亭2
松月亭内部
松濤園・浄庵
浄庵:平成4年(1992)4月完成。 庭園で一番高い所にある茶室
松濤園・灯篭
浄庵にある手水鉢を備えた灯篭(徳利の様な蛇口が付く)
松濤園・浄庵内
浄庵が茶屋になっていた2015年9月公開の様子(左:玄関、右:床の間の棚)
池上本門寺・精進アイス
茶屋の精進アイス
松濤園5

松濤園・根庵
根庵(こんあん):陶芸家・大野鈍阿の旧宅で八畳二間
根庵と鈍庵が平成2年(1990)裏千家より寄贈され、移築して茶会などに利用。
松濤園・根庵内1
根庵 2017年9月公開の様子:立礼席としてお茶券が販売されていた
松濤園・根庵内2
左:玄関の床板           右:琵琶棚(床の間は屏風に隠れて見えない)  
松濤園4
古そうな根庵の濡れ縁:材が炭化しているが、いつ火災に遭ったのだろうか
松濤園・鈍庵
鈍庵:鈍阿の茶室で平成2年に同じく裏千家より寄贈された
松濤園・鈍庵2
鈍庵:四畳中板敷の茶室


大野鈍阿(どんな,1885-1951)は美濃生まれの陶工で、益田孝(鈍翁)お抱え職人として品川御殿山の屋敷で作陶。
益田が小田原へ隠居すると、目切坂上(中目黒駅付近)根津嘉一郎の屋敷に移り住み、窯を開きます。
晩年は等々力で暮らし、終生 作陶を続けました。
鈍阿の私生活は知られていませんが、娘の大野千慧子は裏千家教授であり、大野宗恵として五島美術館の茶会でお手前を披露しています。
鈍阿は気難しい人であったと話しており、作品も畠山記念館に寄付しているそうです。
 
【参考文献】
池上本門寺HP/解説板
日蓮宗東京都南部宗務所HP
陶説479号「児庵日記(4)鈍阿作志野写麒麟文角鉢」宮腰達朗 著 1993 日本陶磁協会

【2015・2017年 訪問】

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