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2018.
08.05
Sun
建築年:昭和47年(1972)
構造:SRC造一部S造、11F及び13F+BF
設 計:黒川紀章建築・都市設計事務所
所在地:東京都中央区銀座8-16-10
見 学:予約制・有料    ※詳しくはコチラ⇒【中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト
中銀カプセルタワービル
 建て主『中銀』は(ちゅうぎん)ではなく(なかぎん)と呼びます。 銀座を中心に貸ビル事業を展開し、現在は中銀グループとして介護付有料老人ホーム等も運営、介護事業にも携わっています。 ※詳しくはコチラ⇒【中銀グループ
創業者の渡辺酉蔵(とりぞう)は昭和46年に中高齢者専用マンション完成させ、翌年にこの中銀カプセルタワーと、先見的な発想の持ち主であったようです。
万博のタカラビューティリオン(カプセル住宅)を観て黒川紀章に設計を依頼。 反対した社員達に「個人財産を投げ打ってでも行う」と説き伏せて建設を実施、1971年3月着工、翌年4月に竣工。
ビジネス用セカンドハウスとして380~486万円で140戸分譲したカプセルは即完売したとの事。
仕様は3グレード有り、TV・時計・冷蔵庫は標準装備で、オーディオセット・空気清浄機・流し台はオプション。 カラーは白・青・オレンジ・黒からセレクト出来たようです。 当時の管理費13900円には事務サービスやシーツ類の交換も含まれていて、ホテル的な機能も備えていました。
中銀カプセルタワービル・玄関
玄関脇にあるコンビニの箇所は当初、食事サロンになっていた
中銀カプセルタワービル・外部1
左:通用口の丸窓            右:床も丸タイル貼
中銀カプセルタワービル・廊下
このオレンジを内装色に採用した部屋はあったのだろうか(丸窓は各戸の電気メーター)
中銀カプセルタワービル・ブリッジ
2棟を繋ぐブリッジ部分:近くの窓には目隠しつばが取り付けられている
中銀カプセルタワービル・配管
ブリッジの天井裏に隠された配管はプレハブ化され、点検補修用に各戸の床一部が開くという
中銀カプセルタワービル・外部2
最下部は配管がむき出し
中銀カプセルタワービル・外部3
カプセルの最上部:クレーンで吊り上げるための金具が残る
カプセル名「BC-25(中銀ビジネスカプセル)」は海用コンテナをベースに製作
滋賀の工場→神奈川の仮置場→早朝に運び入れて徐々に積み上げていった
140戸のカプセルは入口と窓の位置が、縦/横/左/右の8種類あり、大丸装工部が製作
中銀カプセルタワービル・A904
A904号室は良い状態で現存
当初の床はスーパーデラックスがジュータン敷き、その他はPPフェルト貼であった
中銀カプセルタワービル・ユニットバス1
ユニットバス
中銀カプセルタワービル・ユニットバス2
便器と水栓類
中銀カプセルタワービル・備品
オプションのオーデオセット(TVは標準装備)
中銀カプセルタワービル・机
壁に収納できるデスク
中銀カプセルタワービル・窓
スチール製の二重丸窓は内側のみ開閉可能で、円形状のブラインドが嵌る
中銀カプセルタワービル・照明
照明と煙感知器は当初の物


 福島出身の渡辺酉蔵(1921-1991)は鉄道員になるも、中央大学卒業を経て弁護士に。
東京の王子で洋裁学園や英語学校も経営しつつ運営は妻・幸子に任せ、昭和28年に順天高等学校も継承しています。
新校舎建設資金を稼ぐため貸しビル業を始めますが、建設したブロック造3階建の建物が地盤沈下を起こし、順天高等学校の経営を諦める事に。
貸しビル業が軌道に乗ると再び順天高等学校を継承。一方で東京ドレスメーカー女学院となっていた洋裁学園は順天デザイン専門学校となりましたが昭和58年に廃校。 その一部は順天学園に受け継がれています。
晩年は宗教法人・平和の礎を継承し、熱海に4階建て納骨堂マンシオンを計画しますが、7mの敬老観音(制作:堤直美)だけが完成しています。

【参考文献】
新建築47(6)「中銀カプセルタワービル」新建築社 1972
都市開発10(110) 「反響呼ぶ中銀カプセルマンション」 都市開発研究会 1972
「空を買った男 : 渡辺酉藏伝」渡辺孝蔵 著 1992

【2017年8月 訪問】


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2018.
07.22
Sun
庭園開放:平日9~15 時迄、無料
所在地:岩手県盛岡市愛宕町14-1
アクセス:盛岡駅前~中央公民館前バス停下車スグ
TEL:019-654-5366

中央公民館
 公民館の敷地内に移築された建物。 貸室のため開放されておりませんが、許可を得て拝見させていただきました。
※現在は建物を管理する公民館が2018/4/1~2020/3/31まで大規模改修工事で休館中のため、庭園は開放していますが貸室は休止のようです。
詳しくはコチラ⇒【盛岡市中央公民館

◆南部伯爵家別邸
建築年:明治41年(1908)
南部伯爵家別邸2
 元々こちらにあった建物。 かつてこの地は盛岡藩の御薬園であり、後に下小路御屋敷という藩主の別荘となっていましたが、明治の混乱期に庭と建物が壊され荒廃。
南部伯爵家別邸として建造が行われ、長岡安平が整備計画したと云われる庭園は、地元の庭師・内田徳太郎が担当しました。
建物は明治40年5月着工、翌年9/25竣工。 盛岡出身の葛西萬司が設計監修し、遠藤精一(旧藩士)らが現場監理、棟梁は戸澤甚太郎が担当しました。 
昭和30年代から公民館となり、昭和55年に施設を新築するため玄関と接客空間を残して解体され、現在は別館となっています。
南部伯爵家別邸・大広間
大広間
南部伯爵家別邸・釘隠し
釘隠し(左上は廊下、その他は大広間) 
南部伯爵家別邸・天井
大広間の格天井
南部伯爵家別邸・内部
控室(洋間)は貸切り中のため拝見できず
   

◆白芳庵 ※保存のため貸室不可
建築年:大正7年(1918)昭和34年に移築
白芳庵
 内閣総理大臣を務めた原敬の別邸・介寿荘(一山荘)内にあったもので、組閣記念として造られた離れを原敬は「田舎屋」と称していました。
主屋(1909)を進駐軍や東北電力・県会議員の宿舎として賃貸するなかで、2階部分と茶室が焼失。
主屋は解体され、七十七銀行/日本生命に地貸しする事になり、庭木・庭石も競売に掛けられます。
その中で原敬が最も愛でた聚光院型灯篭は、一山もち翁?の店へ譲渡されたようですが、今もあるのでしょうか。
「田舎家」は昭和34年に原家が盛岡市に寄贈し、移築費用は七十七銀行が負担。 養嗣子の原貢が「白芳庵」と命名しました。
茶室にするため移築の際に四畳半に躙り口を付け、3帖間は水屋に改装されています。
白芳庵2
裏側
白芳庵3
広間(八帖)
白芳庵・床の間
広間の床の間には様々な材を使用
白芳庵4
小間(四畳半)
白芳庵5
左:水屋(新設)           右:附属室
白芳庵6
左:便所も改装済み        右:手水場は当初のまま(手水器は新しい)

聖風閣
聖風閣
明治天皇が明治9年に東北ご巡年の際、行在所となった菊池金吾郎邸(賜松園)御成の間を移築
聖風閣・内部
聖風閣・座敷
聖風閣・床の間
唐紙は張り替えられているが、飾り棚の戸襖は当初の物と思われる


◆愛宕亭
建築年:不明、昭和55年に移築
愛宕亭
公民館南側の国道沿いにあった俳人・山口青邨が幼少期を過ごした家が解体され、昭和55年の公民館新築の際、建物の一部を移築し「愛宕亭」と命名。
愛宕亭・内部
床柱など殆どが新しい材に交換されているようだ


旧中村家住宅(国指定重要文化財) ※貸室不可
建築年:江戸末期、昭和49年に移築
中村家住宅・移築前平面図
盛岡市南大通2丁目にあった呉服商「糸屋」の主屋や土蔵の一部を移築
中村家住宅
店(左下:夏用の冷風通気口か、 右下:雪国なので格子戸と突き上げ戸の間に空間を設けている)
中村家住宅・かんざ
鴨居の上に吊るされた南部箪笥
泥棒も手を出しずらく、床上浸水対策にもなっている
中村家住宅・居室
左:内帳場の奥に仏間
右:仏間の横は囲炉裏付きの常居(居間)
中村家住宅・応接間
応接間にある紫根染布張り椅子(大正期頃)
江戸時代のムラサキ草を使った草木染「南部紫」は藩の許可を得た問屋が専売していたという。
中村家住宅・店2F
店の2階にある客用の座敷

【参考文献】
「庭園物語」1954 岩手日報社
「白芳庵随筆」 山田勲 著 1961  新岩手社
「岩手県近代和風建築」 岩手県教育委員会 2007

【2017年6月 訪問】


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2018.
07.08
Sun
紺屋町番屋
(紺屋町番屋)

盛岡の古い建物を訪問する中で見つけたグルメを紹介します。


【白沢せんべい店】
白沢せんべい
 岩手では古くから小麦の栽培が行われており、様々な加工食品が生まれ、近年では盛岡冷麺・じゃじゃ麺などが名物となっています。
その中でも私は固い煎餅や乾パン等が好きなので、紺屋町番屋の斜め前にある南部煎餅の老舗をご紹介します。
この本店では裏に工場があり様々な味(ゴマは数種類・冷麺・かぼちゃ・抹茶・コーヒー等)がバラ売りされ、まとめ買いするとおまけが付きます。
『コーヒー』は珈琲豆の粒入りで香りが良いし、『冷麺』もそのままの味がしますが、塩クルミが一番美味しく感じました。
【白沢せんべい店】 9:00~17:40, 盛岡市紺屋町2-16(総合福祉センター入口バス停近く) TEL:019-622-7224   


【清月堂】
清月堂
昼食を取る間もなく貸自転車で盛岡の中心地から一ノ倉邸へ向かう途中、『だんご』の看板に吸い寄せられる。
清月堂3
 みたらし・ゴマ・クルミ・アンコがある中、ゴマとクルミを注文。 店の主人が皿に盛り付けてくれた団子を店内の小さな席で食しました。 
ゴマだれは自分好みの甘じょっぱさで美味しいですが、岩手県産を使っていると思われるクルミ団子は特にお勧めです。
どうやら有名な和菓子屋だったようで、「くりっこ」という第22回全国菓子大博覧会(4年に1回開催1994年.金沢)金賞の和菓子など数種類を購入してみました。
「くりっこ」は栗とアンコが入ったドーナツ風の素朴な菓子ですが誠に美味しく、他にも「バナナボート」なる洋風な菓子を作っている和菓子屋です。
清月堂2
 ちなみに店の前の県道220号線は交通量が多く路肩を自転車で走るのは危険で、人が歩いていない歩道を通行するのですが、点字ブロックが延々と続き、所々に車両出入用の落ち込みがあるため少々危険。 川越しの強風が吹き、自転車が横断できない交差点もあるので、裏道を通った方が無難です。
【清月堂】 9:00~18:30,正月・お盆お休み, 盛岡市夕顔瀬町17-18(盛岡駅~約1.2㎞,夕顔瀬橋/片原バス停近く) TEL:019-622-6754 


【旧 井弥商店(盛岡正食普及会/糧玄食品)】
建築年:店は明治44年(1911),後ろの蔵は江戸後期
構 造:土蔵2階建て
所在地:岩手県盛岡市上ノ橋町1-48(上の橋バス停~徒歩約3分)
旧 井弥商店1
 村井弥兵衛の井弥商店として建設され、明治41年(1908.5)着工、明治44年(1911.4)竣工。 設計は東京神田の人と云われています。
昭和時代に類焼しており、二度目の火災で屋根が焼け落ちたため2階を修復して現在の形となっています。
後ろにも土蔵造りの建物が2棟あり、どれかは不明ですが言伝えによると、外壁下地のマユミの木小舞に巻き付けられている縄は蕨で、壁土には地元の土が使われ、糊とマツポコリという煤を混ぜた上塗りで仕上げられているそうです。
旧 井弥商店JPG
出入口にあるショーケース
旧 井弥商店2
室内1階の県南産ケヤキ材は昔の様子を留め、2階は火災により改修されている(住宅)
旧 井弥商店3
 戦後に盛岡正食普及会が発足し、糧玄食品㈱が創業されて村井弥兵衛が社長に就任。 建物はパンや自然食品を売る店舗として使用されていました。
店内に並ぶパンは裏の工場で県内産の小麦粉を自家製粉して焼き上げたとの事。 ずっしりと重みのある黒糖等を使用した薄茶色の食パンは、天然酵母の味がしました。
 建物について店主に訊いている内に、間もなく閉店休業してしまうという話が。 公会堂多賀に続いてこの店も閉店するとは…。
よく見ると店内の自然食品も品薄で、買い物に来たヒッピー風のおじいさんは目当ての商品を購入できずに帰ってしまいました。
硬いロシアビスケットが有名だというのを後日知り、悔やむばかりです。
糧玄食品
 かつては学校給食にこの店のパンが提供されていたというから、子供達の記憶にも残っているでしょう。
調べてみると、先代・村井良和社長(弥兵衛の子息)はパンの研究開発に取り組み、岩手県パン工業組合理事長を務めた他、水泳教育振興で旭日双光章を受章、2016年に他界されたとの事。
事業は息子さん達(兄がパンを焼き、弟が販売)が一時受け継ぎましたが、株式化されている等の事情から現在は閉店休業しています。
いつかまたパンやビスケットが味わえるよう願うばかりです。
彩園子
 後ろの蔵は江戸後期の建物で、基礎はコンクリートに、1階の床は石敷きに改修されています。
昭和50年代から1階がギャラリー『彩園子』、2階に雰囲気ある喫茶店『一茶寮』(両店共10:00~19:00 日曜休み,TEL:019-653-4646)が営業。 メニューで気になったヨーグルトゼリーを頼みましたが品切れでした。

【参考文献】
「もりおか物語8」 盛岡の歴史を語る会 1978
「岩手県近代和風建築」 岩手県教育委員会 2007
「村井良和氏 旭日双光章受章を祝う会」 2011 

【2017年6月 訪問】



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2018.
06.24
Sun
旧小林新古美術店1
 ベルギー大使館別荘の特別公開(2018.6.25迄)から帰る途中でバスを降り、真光教会に立ち寄りつつ徒歩で日光駅に向かうと、個展の看板が。 その奥に屋敷があったので立ち寄ってみる事にしました。
其れは立派な建物で、広い階段や大広間がある、まるで寺社や藩邸の客殿の様な造りでした。
1~2階が個展会場となっており、訪問時には香川大介氏がその場で作品を描いていました。
自然茶寮 廻のご主人によると、この建物はかつて骨董店であったもので暫く使われておらず、所有者の厚意により今回初めて公開されたとの事。
通りに面した旧骨董店の店舗には「S.KOBAYASHI ART TRADING CO.,LTD」の看板が掲げられ、多くの外国人が訪れた事を物語っており、大きな掛け軸や屏風もこの客殿なら展示できたのでしょう。
2018年6月30日(土)まで公開されていますので、日光観光に併せて訪問してみてはいかがでしょうか。
旧小林新古美術店・玄関
玄 関
旧小林新古美術店・1F
1F大広間:壁は塗り直され、床などは改修されているもよう
旧小林新古美術店・1F天井
見事な杢目の天井
旧小林新古美術店・1F照明
1F大広間の照明
旧小林新古美術店・階段
欅材の階段
旧小林新古美術店・2F3
2F広縁:ガラスの猫間障子が嵌る
旧小林新古美術店・2F天井画
2F大広間の飛龍天井画
真っ暗の中、懐中電灯で個展作品を観るので部屋の写真はないが、床の間付きの座敷と次の間があり、その天井に大きな墨絵が張られていた。
寺の天井画の下絵だろうか? 『自然茶寮 廻』の天井にも日本画が張られおり、喫茶や食事をしつつ眺める事が出来る。
※カフェについてはコチラ⇒『自然茶寮 廻
旧小林新古美術店・2F1
2F小部屋(散らばる紙は展示作品)
旧小林新古美術店・2F2
2F小部屋:違い棚の上品な引手金物
旧小林新古美術店・釘隠し
2F小部屋の釘隠し
香川大介展「揚回路」
ライブペイント中の香川大介氏:細密画は墨汁で描かれており、2Fの龍と共に新旧の墨絵を楽しめる。
氏は日光市内にある古民家を自分でリフォームし、『香川大介美術館/吉見屋』を開設している。
※詳しくはコチラ⇒『HP
旧小林新古美術店2

(キリフリ谷の芸術参加プログラム)香川大介展「揚回路」×上村活史グラスダイアログ展
会期:2018年6/1(金)~6/30(土),休館-火曜日,¥200-
会場:『自然茶寮 廻』の裏手にある客殿
主催:吉見屋 TEL)0288-87-4032
住所:栃木県日光市中鉢石町909-1
アクセス:日光駅~1.5㎞(金谷ホテル/市役所の近く)
 ※日光へはJR新幹線・宇都宮で乗り換えるか、東武鉄道の特急が早いです

【2018年6月 訪問】



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2018.
06.03
Sun
 盛岡監獄の大火以降、明治中期~昭和初期にかけて多くの建物が造られました。
盛岡に残る、その時代の建物を幾つかご紹介します。
ライト写真館1
ライト写真館(中央通1-6-16) 建築年:昭和期、 混合造2階建て
ライト写真館2
昭和27年の商工録には「ライト写真館・唐 健吾」となっている。
兄の唐 武治は明治から写真師として活躍しており、大正2年の「岩手県商工人名録」には所在地が日影門外小路(現在地付近)となっていて、健吾も一緒に働いていたようである。
ライト写真館3
左:ステンドグラス          右:玄 関



佐藤写真館1
佐藤写真館(中央通1-13-60) 建築年:昭和初期、 木造2階建て 
佐藤写真館3
ライト写真館の斜め前にある現役の写真館で大正時代に創業



唐たけし写場
唐たけし写場(中ノ橋通1-5-2) 建築年:昭和24年
京都で修業した唐 武は父・武治の写真館を受け継ぎ、叔父・健吾と一緒に営業していたようだ。
二人の所在地は昭和2年「盛岡市統計調査課 商工録」で日影門外小路となっている。
昭和10年に唐 武は現在地に開店するが、この建物は戦後に建てたものであり、廃業後は改装されて飲食店などが使用している。
ちなみに昭和27年の商工録には「東北写真館・唐 武(呉服町)」の記載あり。



開運橋通2丁目事務所1
旧 事務所・住居(開運橋通2-7) 建築年:昭和初期、 木造2階建て
岩手塩元売㈱/東北砂糖㈱の所有か、現在は使用されていない。
開運橋通2丁目事務所2



八幡町番屋
八幡町番屋(八幡町1−17)
明治27年(1894)頃に建造された『い組』の番屋であったが、残念ながら解体されて望楼のみが残された。



みちのくのあかね会
みちのくあかね会 工房(名須川町4-30) 建築年:大正~昭和期、 木造
三ツ石神社の近くにある学校の様な建物は、盛岡市民病院の一部を移築したもの。
戦争未亡人・引揚者の仕事を増やすため、昭和33年「盛岡婦人共同作業所」が発足し、昭和37年「㈱みちのくあかね会」設立、手織りのホームスパンを制作している。 歴代社長の中には遠山美知(⇒旧石井県令邸)もいる。
みちのくあかね会:見学可,10~17時(12~13時 昼休み),土休日・お盆・年末年始は休み, TEL:019-622-2648

【2017年6月 訪問】


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