2016.
04.24
04.24
Sun
2015年5月末に『横浜開港祭2015』が開催されました。 様々なイベントも実施され、横浜港の魅力を満喫! 今回はその時の様子と横浜港の歴史を紹介します。
※今年も6月に『横浜開港祭2016』が開催されますが、同じ内容のイベントがあるとは限りません。 詳しくはコチラ⇒【横浜開港祭】
日本丸メモリアルパークに係留されている初代日本丸で、全ての帆を広げる総帆展帆が実習生によって行われた。
本来は波のある沖合で行われるもので、高所恐怖症の私にとっては想像するだけでも恐ろしい。 見学者の注意事項としては日焼け・脱水症対策を念入りにする事。
横浜みなと博物館の帆船模型展に展示されていた、仏1669年100門艦『ル・ソレイツ・ロワイヤル』の断面模型。 村石忠一氏がパリ海洋博物館の写真から図面化して製作したというから驚き。
護衛艦やまゆきの一般公開は長蛇の列
ランチャーが動いた!
揺れに強い船用の電球。 東京の旧岩崎久彌邸の屋根裏から船用の電球が見つかっており、船で実際に使用される姿を見る事ができて嬉しい。
索(縄)の収め方がアート作品の様
新港埠頭8号バースの先端:関東大震災以降の工事箇所か?
50t定置式起重機(ハンマーヘッドクレーン):英国コーワンス セルドン社製で当時価格95,555円。 基礎工事は政府直営で行い、据付け組立は石川島造船所が請負った。関東大震災では倒壊を免れたが修理を行っている。(※3)
開港時に造られた2つの突堤の一つで、荷降ろしの際の波避け形状から『象の鼻』と呼ばれるようになった。
運上所の役人が沖合に停泊中の外国船へ出向き、積荷検査と料金徴収後、小船に移して荷揚げされた。
「クイーンの塔」と呼ばれる横浜税関本関:明治18年の庁舎(煉瓦造2階建1885)が関東大震災で倒壊し、昭和9年に完成。 終戦直後マッカーサーに使用された歴史を持つ。 横浜三塔の一つとして保存が決定し、平成15年に増改築工事完了。
~横浜港の歴史~
安政6年6月2日(1859/7/1)開港後の歴史は、元治元年に2つの波止場が構築された後、本格的な第1期工事(明治22年9月起工~29年5月竣工)が実施され、東と北の水堤と鉄橋などが完成します。 さらに、明治31年の議会で繋船岸拡張工事が可決し、臨時税関工事部が設置されます。
そして、古市公威を中心に中山・丹羽らが港湾の全体設計を行いました。 その構造は、基礎は海底の砂質擬灰岩を堀盤し、コンクリートブロックの内部に割栗石を詰め、外部は切石積みとしたもので、東南埠頭の鉄橋は回転式で計画されました。 当初は明治36年度完成予定でしたが、実際には…
◆第2前期工事(明治32年5月~38年12月)埋立て岸壁延長・萬国橋。 日露戦争で緊縮。
◆第2後期工事(明治39年4月~大正6年11月)大蔵省臨時建築部へ移管され、明治44年に埋立て岸壁延長完了。 新港橋・煉瓦造の新港事務所2棟・煉瓦造3階建て倉庫2棟・木造や鉄骨造の上屋15棟・煉瓦造の発電所などは大正6年までに随時完成。
この時に新築された船舶繋留・貨物取扱事務用の中央事務所(新港右突堤事務所)は、明治44年起工~大正3年5月竣工。 鉄骨煉瓦造3階建て+塔屋で、1Fには事務室と外航・荷扱船用の貸し事務室、2Fは事務室と特別応接室、3Fは会議室・小食堂・脱帽室など。
萬国橋の事務所は、大正2年2月起工~大正3年3月完成。煉瓦造2階建て+高低差を利用した半地下で、検査場や事務室を設置。
2階建て木造上屋は1Fが貨物置場、2Fが待合室。それに手荷物検査の上屋が付属し、鉄骨造の上屋は貨物の荷揚場などに使用しました。
◆第3期工事(大正10年4月~)は、埋立て岸壁延長・上屋・道路・鉄道引込線が昭和11年度に完成予定のところ、関東大震災が横浜港を直撃。
北防波堤と岸壁第3~5・7~13が沈没、桟橋も猛火で崩壊。鉄骨上屋1・5・7・10号は半倒壊、その他は半倒壊+火災。木造上屋い・ろ・12号は全焼。3階建て煉瓦倉庫2棟のうち、甲は火災で内部の1/3焼失。事務所・鉄道・橋梁・発電所・水道も被災。可動起重機18基は全て倒壊しましたが、50tと20t定置起重機は倒壊を免れています。
◆震災復興工事では、大正12年6月に臨時建築課横浜出張所が設置され、港湾は大正12年10月起工~14年9月竣工。上屋・倉庫・道路・鉄道などは大正13年6月起工~随時竣工し、昭和6年3月に完了しています。
◆終戦後は港や倉庫が接収され、GHQは大桟橋を、SCAJAPは新港埠頭・瑞穂埠頭・高島町二号桟橋を使い、日本は川崎埠頭・東洋埠頭石炭バースと認用された高島町二号桟橋を使っていました。 その殆どが日本に返還されていますが、いまだに戻っていない所もあります。
旧横浜生糸検査所倉庫(旧帝蚕倉庫:横浜市中区北仲通五丁目)1926年,地上3階+地下1階
遠藤於菟の設計により、関東大震災後に建設された旧横浜生糸検査所(現・横浜第二合同庁舎)の倉庫。
「北仲通北再開発等促進地区地区計画」A-4地区にあり、この倉庫は解体され、旧横浜生糸検査所倉庫事務所(旧帝蚕倉庫事務所)の後ろへ移される予定。 三井不動産2016/3/1ニュースリリースによると、倉庫跡地には三井不動産レジデンシャル㈱・丸紅㈱・森ビル㈱の3社共同で、地上58階建の超高層タワーが計画され、予定では解体着工2016/6/1~、新築着工2016年10月~、竣工2020年1月となっている。
煉瓦造やRC造の解体移築はとても難しいですが、なるべく多くの部材が残る事を期待しています。 ちなみに、事務所棟は解体せずに耐震補強されるようです。 どちらも内部は公開されていませんが、最後の姿は見ておきたいものです。
(手前の岸壁の切石はいつの時代のものだろう?)
【参考文献】
※1「横浜税関一覧」1900 横浜税関
※2「横浜税関新設備報告」1917 大蔵大臣官房臨時建築課 編
※3「横浜税関新港設備概要」1917 大蔵大臣官房臨時建築課
※4「横浜税関陸上設備復旧工事概要」1925大蔵大臣官房臨時建築課横浜出張所
※5「横浜港概覧」 1930・1934 横浜税関
※6「横浜開港150年の歴史」横浜税関 2007
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建築年:昭和7年9月着工、昭和9年3月完成、平成15年に増改築工事完了
設 計:大蔵省営繕管財局工務部(増改築は香山・アプル設計共同体+国交省)
構 造:改修棟SRC造5階建て・増改築棟SRC造+S造7階建て
住 所:神奈川県横浜市中区海岸通1-1
交 通:みなとみらい線「日本大通り駅」~徒歩3分
TEL:045-212-6053 ※業務についてはコチラ⇒【横浜税関】
2015年3月の横浜三塔の日に「クイーンの塔」と呼ばれる横浜税関庁舎で、普段は公開されていない旧税関長室と展望台が定員制で公開されました。 輸入品通関と密輸取締り等を行う横浜税関は、現在、神奈川・宮城・福島・茨城・栃木・千葉を管轄しています。
港側の玄関
大蔵省の設計担当者と云われる吉武東里は住宅なども手掛けている⇒【旧島津一郎アトリエ】
大通り側の玄関には車寄せが
外壁タイルは昭和40年代に貼り換えたようだが、平成の工事で部分的に修復されている
資料展示室の玄関: 主な外壁装飾は保存された
1F資料展示室は平成元年から公開している
10時~16時(5~10月は17時まで)、休館は年末年始
明治時代の税関の制服を再現(左は下役)西洋顔で違和感があるので島津マネキンの様なものが合うのだが
竣工当時の資料
税関長の写真(左から、4代目の星 亨、3代目の中島信行、初代の上野景範)
ちなみに星 亨が暗殺された後、東京の本邸は山本条太郎が購入したと云われるが現存していない。
第8代税関長・有島 武の別荘は軽井沢高原美術館に移築されており、見学する事が出来る⇒【有島武郎別荘】
平成の工事で1号階段の腰壁はテラゾー(人研ぎ)を洗浄、漆喰壁は塗り替えられた ※非公開区域
3Fホール床 ※非公開区域
左:3Fホールの腰壁も階段と同じ仕上げ 右:廊下は腰壁なし
3Fの旧貴賓室 ※非公開区域
3Fの旧貴賓室の額縁
1582~1590、ITO MANTIOと書かれている(天正遣欧使節・伊藤マンショ)
貴賓室の天井と梁の装飾
平成の工事で漆喰を塗り替え、壁紙と床板が張り替えられた
旧貴賓室次室 ※非公開区域
マッカーサーが使用したと云われている旧税関長室 ※非公開区域
上:天井の換気口、 中:梁の漆喰彫刻、 下:ラジエーター式暖房機グリルは銀色で統一
平成の工事で増築された7階展望台 ※非公開区域
塔の銅板葺き屋根、外壁タイルは部分補修されている
塔と屋上との取り合い(内部は公開されていない)
中庭の建物も新しくなった
左:竣工時の様子 右:平成の工事後の様子 (展示室模型より)
横浜税関の前身である「神奈川運上所」が慶応2年の大火で類焼し、埋立地に石造平屋の運上所と上屋2棟が翌年に完成。 名称も「横浜運上所」となりましたが、明治5年に「横浜税関」と改称され、所管も神奈川→外務省→大蔵省へと移り、現在は財務省となっています。
明治6年(1873)現在の神奈川県本庁舎の位置に、石造3階建て(R.P.ブリジェンス設計)の初代税関庁舎が完成。
明治18年に塔付きの煉瓦造2階建て本関(税関本部)が完成すると、旧庁舎は約8万円で神奈川県に譲渡。
新庁舎の1Fには輸入検査場・事務室・金庫派出所・警備室、2Fには税関長室・2つの応接室・官房室・図書室・庶務課・統計室・見本室がありましたが、残念ながら関東大震災で倒壊しました。
その他に西波止場の監視部(煉瓦造2階建て1893)、新港右突堤事務所(鉄骨煉瓦造3階建て+塔屋 1914)、萬国橋際事務所(煉瓦造2階建て1914)等がありましたが、それらも被災したようです。
震災後の税関業務は木造平屋で行われていましたが、昭和に入って庁舎を新築する事になり、その設計図を見た当時の税関長・金子隆三に叱責され、一部を4階建てにして工費を下げ、県庁の塔より3mほど高く設計変更しています。
昭和9年(1934)現在の庁舎が完成し、1F~2Fは事務室、3Fは貴賓室・税関長室・部長室、4Fは会議室・協議室・柔剣道場、5Fは講堂・映画検閲室に使用。
終戦後はGHQに接収され、連合国軍総司令部が東京の第一生命ビルへ移転した後も、昭和28年(1953/11/28)まで第8軍司令部となっています。
返還されて税関庁舎に戻った建物は近年まで使われ、設備の老朽化により建替えの案も出ましたが、横浜三塔の一つとして保存が決定し、平成13年着工、15年に増改築工事が完了しました。
その工事とは、河口の砂州埋立てで液状化の恐れがある海側を中心に、改修棟下はCPG工法、増改築棟下はSLP工法による地盤改良を施して、マルチペデスタル杭などを打ち込み、改修棟と増改築棟の基礎を繋げているとの事です。
【参考文献】
「横浜税関一覧」1900 横浜税関
「横浜税関沿革史」1902 横浜税関
「横浜税関新設備報告」1917 大蔵大臣官房臨時建築課 編
「横浜税関と其の設備」元尾光輝 著 1937 横浜貿易協会
月刊建設48号「横浜税関庁舎の保存活用」石丸茂 著 2004 全日本建設技術協会
基礎工34号「歴史的建造物の保存・再生のための液状化対策実施例」伊勢本昇昭・金子治著 2006 ㈱総合土木研究所
【2015年3月 訪問】
設 計:大蔵省営繕管財局工務部(増改築は香山・アプル設計共同体+国交省)
構 造:改修棟SRC造5階建て・増改築棟SRC造+S造7階建て
住 所:神奈川県横浜市中区海岸通1-1
交 通:みなとみらい線「日本大通り駅」~徒歩3分
TEL:045-212-6053 ※業務についてはコチラ⇒【横浜税関】
2015年3月の横浜三塔の日に「クイーンの塔」と呼ばれる横浜税関庁舎で、普段は公開されていない旧税関長室と展望台が定員制で公開されました。 輸入品通関と密輸取締り等を行う横浜税関は、現在、神奈川・宮城・福島・茨城・栃木・千葉を管轄しています。
港側の玄関
大蔵省の設計担当者と云われる吉武東里は住宅なども手掛けている⇒【旧島津一郎アトリエ】
大通り側の玄関には車寄せが
外壁タイルは昭和40年代に貼り換えたようだが、平成の工事で部分的に修復されている
資料展示室の玄関: 主な外壁装飾は保存された
1F資料展示室は平成元年から公開している
10時~16時(5~10月は17時まで)、休館は年末年始
明治時代の税関の制服を再現(左は下役)西洋顔で違和感があるので島津マネキンの様なものが合うのだが
竣工当時の資料
税関長の写真(左から、4代目の星 亨、3代目の中島信行、初代の上野景範)
ちなみに星 亨が暗殺された後、東京の本邸は山本条太郎が購入したと云われるが現存していない。
第8代税関長・有島 武の別荘は軽井沢高原美術館に移築されており、見学する事が出来る⇒【有島武郎別荘】
平成の工事で1号階段の腰壁はテラゾー(人研ぎ)を洗浄、漆喰壁は塗り替えられた ※非公開区域
3Fホール床 ※非公開区域
左:3Fホールの腰壁も階段と同じ仕上げ 右:廊下は腰壁なし
3Fの旧貴賓室 ※非公開区域
3Fの旧貴賓室の額縁
1582~1590、ITO MANTIOと書かれている(天正遣欧使節・伊藤マンショ)
貴賓室の天井と梁の装飾
平成の工事で漆喰を塗り替え、壁紙と床板が張り替えられた
旧貴賓室次室 ※非公開区域
マッカーサーが使用したと云われている旧税関長室 ※非公開区域
上:天井の換気口、 中:梁の漆喰彫刻、 下:ラジエーター式暖房機グリルは銀色で統一
平成の工事で増築された7階展望台 ※非公開区域
塔の銅板葺き屋根、外壁タイルは部分補修されている
塔と屋上との取り合い(内部は公開されていない)
中庭の建物も新しくなった
左:竣工時の様子 右:平成の工事後の様子 (展示室模型より)
横浜税関の前身である「神奈川運上所」が慶応2年の大火で類焼し、埋立地に石造平屋の運上所と上屋2棟が翌年に完成。 名称も「横浜運上所」となりましたが、明治5年に「横浜税関」と改称され、所管も神奈川→外務省→大蔵省へと移り、現在は財務省となっています。
明治6年(1873)現在の神奈川県本庁舎の位置に、石造3階建て(R.P.ブリジェンス設計)の初代税関庁舎が完成。
明治18年に塔付きの煉瓦造2階建て本関(税関本部)が完成すると、旧庁舎は約8万円で神奈川県に譲渡。
新庁舎の1Fには輸入検査場・事務室・金庫派出所・警備室、2Fには税関長室・2つの応接室・官房室・図書室・庶務課・統計室・見本室がありましたが、残念ながら関東大震災で倒壊しました。
その他に西波止場の監視部(煉瓦造2階建て1893)、新港右突堤事務所(鉄骨煉瓦造3階建て+塔屋 1914)、萬国橋際事務所(煉瓦造2階建て1914)等がありましたが、それらも被災したようです。
震災後の税関業務は木造平屋で行われていましたが、昭和に入って庁舎を新築する事になり、その設計図を見た当時の税関長・金子隆三に叱責され、一部を4階建てにして工費を下げ、県庁の塔より3mほど高く設計変更しています。
昭和9年(1934)現在の庁舎が完成し、1F~2Fは事務室、3Fは貴賓室・税関長室・部長室、4Fは会議室・協議室・柔剣道場、5Fは講堂・映画検閲室に使用。
終戦後はGHQに接収され、連合国軍総司令部が東京の第一生命ビルへ移転した後も、昭和28年(1953/11/28)まで第8軍司令部となっています。
返還されて税関庁舎に戻った建物は近年まで使われ、設備の老朽化により建替えの案も出ましたが、横浜三塔の一つとして保存が決定し、平成13年着工、15年に増改築工事が完了しました。
その工事とは、河口の砂州埋立てで液状化の恐れがある海側を中心に、改修棟下はCPG工法、増改築棟下はSLP工法による地盤改良を施して、マルチペデスタル杭などを打ち込み、改修棟と増改築棟の基礎を繋げているとの事です。
【参考文献】
「横浜税関一覧」1900 横浜税関
「横浜税関沿革史」1902 横浜税関
「横浜税関新設備報告」1917 大蔵大臣官房臨時建築課 編
「横浜税関と其の設備」元尾光輝 著 1937 横浜貿易協会
月刊建設48号「横浜税関庁舎の保存活用」石丸茂 著 2004 全日本建設技術協会
基礎工34号「歴史的建造物の保存・再生のための液状化対策実施例」伊勢本昇昭・金子治著 2006 ㈱総合土木研究所
【2015年3月 訪問】
2016.
04.03
04.03
Sun
建築年 : 大正6年(1917)竣工、 1927・1960・1989・2000 修復
構 造 : 鉄骨煉瓦造, 地上2階+時計搭+地下1階
設計施工: 基本設計は福田重義、実施設計は横浜市建築課、基礎施工は齋藤平左衛門、上部施工は清水組
見 学 : 廊下・階段・2F資料室(10:00~16:00)
休館は 第4月曜日(休日の場合はその翌日)、貸切時、年末年始
所在地 : 神奈川県 横浜市 中区 本町1-6
交 通 : みなとみらい線「日本大通り駅」スグor JR・市営地下鉄「関内駅」~徒歩10分
TEL : 045-201-0708 ※詳しくはコチラ⇒【横浜市開港記念会館】
横浜三塔の1つ『ジャックの塔』と呼ばれるこの建物は、横浜開港50周年の横浜市民からの寄付金により、大正6年(1917)に完成しましたが、僅か6年後の関東大震災で外壁を残して焼失してしまいました。
その後、何度かの修復工事を経て、ホールと貸室に利用されており、廊下・階段・2階の資料室は見学可能で、さらに月1回、講堂や1F会議室が一般公開(10:00~18:00)されています。
時計塔は通常非公開ですが、3月の「横浜三塔の日」に定員制で公開されるとガイドさんから伺い、先着順との事で早々に見学しました。
※会館の様子は⇒【横浜市開港記念会館①】をご覧下さい。
左の写真:解説パネルより
最初のフロアー(時計塔への昇降口)
時計塔と会館は鉄骨で補強された煉瓦造であったため、関東大震災でも倒壊しなかったものの、火災により屋根と内部は全焼。 塔も煙突の様になり、鉄骨階段も多少なりとも被災したと思われる。
左:竣工時の写真 右:関東大震災後の様子 (展示パネルより)
2層目フロアー(狭いため全景写せず)
3層目フロアーから螺旋階段を覗く
階段は1人分の幅しかないため人数制限が行われる
窓から見える屋根(関東大震災後にRC造の陸屋根になったが、平成元年に当初の様子に復元)
時計盤の裏側:現在は電波時計が正午と17時に時報を鳴らす(当初の物は関東大震災で焼失)
左:ガゼボ風ドームへの梯子は登れない 右:階段登頂部
窓越しに見える欄干の彫刻と神奈川県庁本庁舎
【2015年3月 訪問】
構 造 : 鉄骨煉瓦造, 地上2階+時計搭+地下1階
設計施工: 基本設計は福田重義、実施設計は横浜市建築課、基礎施工は齋藤平左衛門、上部施工は清水組
見 学 : 廊下・階段・2F資料室(10:00~16:00)
休館は 第4月曜日(休日の場合はその翌日)、貸切時、年末年始
所在地 : 神奈川県 横浜市 中区 本町1-6
交 通 : みなとみらい線「日本大通り駅」スグor JR・市営地下鉄「関内駅」~徒歩10分
TEL : 045-201-0708 ※詳しくはコチラ⇒【横浜市開港記念会館】
横浜三塔の1つ『ジャックの塔』と呼ばれるこの建物は、横浜開港50周年の横浜市民からの寄付金により、大正6年(1917)に完成しましたが、僅か6年後の関東大震災で外壁を残して焼失してしまいました。
その後、何度かの修復工事を経て、ホールと貸室に利用されており、廊下・階段・2階の資料室は見学可能で、さらに月1回、講堂や1F会議室が一般公開(10:00~18:00)されています。
時計塔は通常非公開ですが、3月の「横浜三塔の日」に定員制で公開されるとガイドさんから伺い、先着順との事で早々に見学しました。
※会館の様子は⇒【横浜市開港記念会館①】をご覧下さい。
左の写真:解説パネルより
最初のフロアー(時計塔への昇降口)
時計塔と会館は鉄骨で補強された煉瓦造であったため、関東大震災でも倒壊しなかったものの、火災により屋根と内部は全焼。 塔も煙突の様になり、鉄骨階段も多少なりとも被災したと思われる。
左:竣工時の写真 右:関東大震災後の様子 (展示パネルより)
2層目フロアー(狭いため全景写せず)
3層目フロアーから螺旋階段を覗く
階段は1人分の幅しかないため人数制限が行われる
窓から見える屋根(関東大震災後にRC造の陸屋根になったが、平成元年に当初の様子に復元)
時計盤の裏側:現在は電波時計が正午と17時に時報を鳴らす(当初の物は関東大震災で焼失)
左:ガゼボ風ドームへの梯子は登れない 右:階段登頂部
窓越しに見える欄干の彫刻と神奈川県庁本庁舎
【2015年3月 訪問】