2017.
09.24
Sun
所在地:板橋区東新町2-30-23
アクセス:小茂根三丁目バス停~徒歩約3分 or 東武鉄道・上板橋駅~徒歩約15分
見 学:内部は非公開
  ※安養院についてはコチラ⇒【板橋区HP
安養院・本堂
 板橋区にある安養院に、明治時代の松平伯爵邸が移築されているとの事。
いたばし文化財ふれあいウイーク2016(10月末~11月初)にて数日だけ公開されるとの事で上板橋駅を降り、てくてくと歩いて辿り着いた先に緑の杜。 ※2017年度は残念ながら公開されないようです
T字路で迷いましたが、右手に行くと参道に近く(私はこの道)、T字路を直進して信号を右に曲がると表門や客殿に近いようです。
武王山最明寺 安養院(真言宗)は、鎌倉時代に北条時頼が開基したと云われ、江戸初期に再興されますが、明治の頃に火災に遭い、僅かな寺宝を残して焼失。 徐々に建物を再建して現在に至ります。
安養院・鐘
鐘撞堂
元禄2年の銅鐘にヒビが入り、享和2年(1802)再鋳。 国の重要美術品
安養院・堂
多宝塔 (木造、2004年竣工、設計:山雄設計事務所、施工:宏和建設)
この下には納骨堂『常圓堂』もある(RC造、2005年竣工、設計:GA設計、施工:日東みらい建設)
安養院・御堂
大師堂
安養院
客殿(旧松平基則邸)
明治35年(1902)、木造2階建て
麹町にあった建物が安養院へ譲渡され、昭和5年に移築完成
屋根は平成11年(1999)改修されている
安養院・表玄関引戸
客殿の表玄関
安養院・表玄関 屋根
前橋松平家の葵紋
安養院・中玄関
客殿の内玄関
安養院・玄関内
表玄関の内部:訪問時は表玄関ではなく案内人(檀家さん)と一緒に本堂から入った
安養院・玄関前廊下
表玄関の廊下にある杉戸
安養院・1F大広間
1F大広間
安養院・1F大広間 付書院
1F大広間の付け書院
安養院・1F大広間 欄間
1F大広間の欄間
安養院・棟札
客殿(旧松平基則邸)の棟札
建築技師:北澤虎造の他、薄くて読みづらいが副技師:中津音次郎?、建築掛:川成〇太郎?、 棟梁:金田平吉?
設計主任の北澤虎造は海軍建築技師で、前田公爵家和館(1905-1945焼失、現:東大本郷キャンパス庭園)等を設計し、この松平基則邸と同じ年に乃木希典邸(1902-現:乃木神社内)も完成している。
海軍に所属していた北澤のように、国会議事堂の基本設計者・大蔵省技師の吉武東里も幾つか個人住宅を手掛けている。
安養院・階段
左:表階段               右:裏階段(使用人向け)
安養院・2F階段
2F表階段から大広間に向かう
安養院・2F大広間1
2F大広間:この部屋は格が高く、折上げ格天井となっている
北烏山の妙壽寺に移築された鍋島直柔邸(1905年頃・非公開)も2Fに格式の高い大広間がある
安養院・2F床脇
床脇(左:実際に使えそうな上段の書院、 右:違い棚)
安養院・2F大広間 欄間
2F大広間の欄間
安養院・2F大広間照明
2Fの照明:一見新しく見えるが古い物(左:大広間、右:次の間)
安養院・家紋
家紋入り(左:照明ガラスシェード、 右:襖の引き手)


 松平基則は明治8年(1875)に、松平典則(旧 川越藩主)の三男として生まれます。 その後、松平直方に養子入りし当主となって伯爵になりました。
明治40年(1907.8.3)国へ申請して隠居し、本来の相続人である直之(松平直克の長男)に家督を譲り、昭和5年(1930.5.24)他界しています。※1
 この建物は麹町にありました。 松平基則の著書には住所が麹町区下二番町48番地とあり、旧前橋松平家の家臣・八木始(詩人・萩原朔太郎の祖父)も同じ敷地内に住み、明治35年「麹町区下二番町 松平基則様邸内・八木始宛」の郵便物が群馬県立文書館に保存されています。
 次回は安養院の仏像をご紹介します。⇒【安養院②

【参考文献】
※1)「官報」1907.8.6、1930.5.30

【2016年11月 訪問】


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2017.
09.24
Sun
所在地:板橋区東新町2-30-23
アクセス:小茂根三丁目バス停~徒歩約3分 or 東武鉄道・上板橋駅~徒歩約15分

 ※詳しくはこちら⇒【板橋区
安養院・本堂
 いたばし文化財ふれあいウイーク2016(10月末~11月初)にて数日だけ公開された旧松平基則邸。
公開されている事が知られていないのか訪れていたのは数人だけで、案内人と二人だけで廻る事になりました。
※2017年度は公開されないようです
その建物がある 武王山最明寺 安養院で、普段は間近で見る事の出来ない仏像も拝む事ができました。
 ※建物についてはこちらをご覧ください⇒【安養院①
安養院・本堂内1
本堂内部
安養院・本堂内
普段は近付けない場所を案内人(檀家さん)と一緒に廻る
安養院・阿彌陀如来坐像1
紅頗梨色 阿彌陀如来坐像(江戸初期)
前立ち本尊であるこの仏像は、孔雀に乗って舞い降りたかのように華やか
赤い肌色から『紅頗梨色(ぐはりじき)』の名が付いたのだろうか
安養院・客殿2F
客殿(旧松平基則邸)2階の広縁へ向かうと、そこには箱が…
釈迦四面像は四面に扉が付いた厨子の中に、誕生仏・説法像・涅槃像を配し、お釈迦様の生涯を表す。
時計回りに発心門・修行門・菩提門・涅槃門の四門になぞらえているという。
安養院・釈迦四面像3
釈迦四面像 発心門
厨子内三面の扉と天井に描かれた仏画には狩野探幽らの落款がある
安養院・釈迦四面像4
釈迦四面像 修行門
巌室には説法像、その扉に弟子の坐像、下方の鬼面を開くと誕生仏が安置されている
安養院・釈迦四面像5
思わず「うわぁ」と言ってしまった
触れる事は出来ないが、岩の扉が開くとお釈迦様が現れる仕掛け
安養院・釈迦四面像6
誕生仏:素人が作った様な仏像が愛らしい
安養院・釈迦四面像2
釈迦四面像 菩提門
左下の仏像が彫られた多面体は回転するのだろうか
安養院・釈迦四面像1
釈迦四面像 涅槃門
安養院・釈迦四面像7
巌室には涅槃像が安置され、扉を下に開くと蓮池が現れる
素晴らしい仏像と建物を拝見させていただき、ありがとうございました。

【参考文献】
板橋区解説シート 板橋区教育委員会
「いたばしの街道めぐり第2集」 1900 板橋区教育委員会
「板橋区史跡散歩」 馬場憲一 著 1978 学生社

【2016年11月 訪問】


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2017.
09.03
Sun
建築年:昭和13年(1938)、増改築有り
設計施工:清水組
所在地:東京都世田谷区瀬田4-41-21
見 学:9:30~16:30、無料
休館日:月曜日(祝日の場合は次の平日)、年末年始
アクセス:東急コーチ「玉川病院」バス停~徒歩約2分 or 東急電鉄・二子玉川駅~徒歩約20分
TEL:03-3709-5471
   ※詳しくはコチラ⇒【旧小坂家住宅
旧小坂家住宅
 二子玉川の山手にある瀬田付近は、明治以降になると実業家や文化人が別邸を設けました。 
静嘉堂文庫美術館や岡本民家園の近くにあるこの家は、小坂順造の別邸として建てられたもので、渋谷にあった本邸が昭和20年の戦災で焼失したため居宅となり、小坂順造は昭和35年(1960.10.16)この家で亡くなっています。
旧小坂家住宅・玄関天井
玄関の天井:主な部材は奥多摩の名主の家から移設したものと云われる
昭和12年(1937)7月に起工、10月2日上棟、昭和13年9月竣工
旧小坂家住宅・玄関
左:土間のある玄関         右:電話室
旧小坂家住宅・茶室
左:玄関脇にある茶室        右:広縁にある水屋は戸棚式
旧小坂家住宅・書斎1
書斎:暖炉上には仏像が置かれていた
旧小坂家住宅・書斎3
書斎の空調ガラリ(ラジエーター式ヒーター)
旧小坂家住宅・照明
左:書斎の照明                  右:書斎の壁紙
旧小坂家住宅・居間
居間(次の間が茶の間)
旧小坂家住宅・台所
台所の食器棚(流し台は新設)
左手に勝手口があり、その脇に地下(ボイラー室)の扉がある
昭和28年(1953)台所は増改築された
旧小坂家住宅・呼び鈴
呼び鈴
旧小坂家住宅・洗面脱衣室
洗面脱衣室
旧小坂家住宅・浴室便所
左:浴室               右:便所
旧小坂家住宅・廊下
左:内蔵               右:階段(2Fは令息室※非公開)
旧小坂家住宅・更衣室
更衣室(ウォ-クインクローゼット):鏡台は長女・百合子の嫁入り道具
旧小坂家住宅・寝室1
主寝室:昭和29(1954)暖炉を琉球産トラバーチンに交換
旧小坂家住宅・寝室2
主寝室
旧小坂家住宅・サンルーム
左:主寝室の洗面所           右:サンルーム
旧小坂家住宅・照明2
照明(左:玄関、 右:階段室)
旧小坂家・茶室跡
茶室跡:主屋は高台にあり、茶室は低地にあった。
この家の近くに住んでいた画家・竪山南風の紹介で、横山大観夫妻が上野の池之端から疎開し、昭和20年3月から3ヶ月程ここに居住。
しかし空襲で焼け出された小坂家三男・徳三郎一家が住む事になり、熱海の別荘へ転居。
空襲で全焼した池之端の跡地に昭和29年に横山大観は家(現:横山大観記念館)を再建している。


 小坂順造は明治14年(1881.3.30)小坂善之助の長男として長野の村山村で生まれ、東京高等商業学校卒業後に日銀へ就職。
信濃毎日新聞・信越化学工業・信濃電気・長野電燈の社長や、日本発送電㈱の総裁を務め、衆議院議員にも当選しています。
父親の小坂善之助は、信濃銀行や長野電灯を創設した人物で、衆議院議員や信濃毎日新聞社長にも就任。
妹2人は日銀総裁の深井英伍や第百銀行頭取の関根善作の妻であり、順造の長男・善太郎は外務大臣、三男・徳三郎は運輸大臣となり、政界や金融界にも繋がりがありました。
 順造の妻・花子はキリスト系女学校出身で、「二十世紀」梨の名付け親である渡瀬寅次郎の長女。
夫妻はしつけに厳しく、子供達は働かなければ小遣いがもらえなかったといいます。
晩年は東京で暮らした小坂順造ですが、死後は長野の生家の裏庭にあるお墓に埋葬されました。
ちなみに小坂順造の生家(江戸末期・茅葺き)は、昭和34年の映画『風花(木下恵介監督)』の撮影に使用されています。

【参考文献】
「小坂順造」 小坂順造先生伝記編纂委員会 1961
実業の日本56(27)「小坂順造をとりまく人々」 鈴木富起人 著 1953 実業之日本社 
中央公論経営問題17(2)「小坂家三代・男たちの系譜」 有馬 真喜子 著 1978 中央公論社
学苑 (通号 700)「旧小坂順造邸(世田谷区)の調査報告」 堀内 正昭 著 1998 光葉会
「風のコラムVol13」 2016 世田谷トラストまちづくり大学同窓会

【2016年10月 訪問】


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