2018.
01.28
Sun
建築年:昭和11年(1936)竣工
構 造:鉄骨鉄筋コンクリート造、3F+塔屋+BF
設 計:大蔵省臨時議院建築局(原案は宮内省内匠寮有志によるコンペ作品)
所在地:東京都千代田区永田町1-7-1

衆議院
 衆議院70周年特別参観が、平成29年5月(2017.5.3~5.4)に開催されました。
まずは整理券をもらい、テントの休憩所や売店などで時間を潰し、指定時間が近づくと衆議院玄関の前に並びます。
館内は順路が決まっていますが、通常では入れない箇所も見学でき、撮影も可能でした。
衆議院・1Fホール
1Fホール
衆議院・1Fホール天井
1Fホール天井
衆議院・2F階段ホール
2F階段ホール:1Fホールからの腰壁・柱・手摺は黒部峡谷付近のオニックス、段石:山口県産「薄雲」
衆議院・2Fエレベーター
2Fエレベーター付近
衆議院・議場1
衆議院議場
議長席上に天皇の御座所、奥のバルコニーは日本の皇室用貴賓席と、その左側に記者席と参議院議員席・公務員席がある。
衆議院・議場記者席
議場バルコニー右側:記者席にカメラスタンドが設置してあるが、席は協会内で決めている。
後ろにある窪みが、かつて真空装置によって1階まで届けられたという原稿投入口だろうか。
横にある貴賓席は国賓用で、記者席後ろに外交官席・公衆席。
衆議院・議長応接室1
2F議長応接室:議長サロンとも呼ばれ、運営委員会が開催される
歴代議長の額があるが、建物好きとしては壁が埋め尽くされない事を願うばかり
衆議院・議長応接室2
2F議長応接室:日本では暖炉の近くが上座とされるが、部屋の両側に暖炉がある。
暖炉前に議長・副議長席があるのでこちらが上座のようだ
衆議院・議長応接室暖炉
2F議長応接室の暖炉:直火ではなく放熱器を使用。 石材は岩手県上閉伊郡産「紫雲」
衆議院・議長応接室刺繍画
暖炉上の刺繍画
衆議院・第一委員会室1
衆議院・第一委員会室
衆議院・第一委員会室2
衆議院・第一委員会室
衆議院・第一委員会室報道席
衆議院・第一委員会室記者席


参議院とは左右対称の間取りで若干違う程度。 建材は同じ物が使用されている。
次回は参議院をご紹介!

【参考文献】
「国会あちらこちら」服部恵龍 著 1960 信貴書院
「大理石・テラゾの五十年の歩み」全国石材工業 1965

【2017年5月 訪問】


スポンサーサイト
comment 0 trackback 0
2018.
01.21
Sun
建築年:昭和11年(1936)竣工
構 造:鉄骨鉄筋コンクリート造、3F+塔屋+BF
設 計:大蔵省臨時議院建築局(原案は宮内省内匠寮有志によるコンペ作品)
所在地:東京都千代田区永田町1-7-1

国会議事堂1
 2017年5月に衆議院・参議院の70周年記念として、通常の見学コースには含まれない中央玄関・議場内部などが特別公開(5/3-5/4衆議院・5/20-5/21参議院)されました。
国会議事堂・中央玄関
中央玄関:天皇陛下や外国の大統領の出入時、選挙後の国会の召集日に開かれる玄関。
参議院が管理しており、参議院の特別公開として10年に一度出入り可能。 
国会議事堂・中央玄関2
中央玄関ホール(下:ドア上装飾)
国会議事堂・中央玄関扉
中央玄関ホール:左右にある扉は事務方が使用するとの事
壁・柱の石材は徳島県加茂谷村産「加茂更紗」、床は埼玉県三沢村「貴蛇紋」&茨城産「茨城白」
国会議事堂・中央広間1
中央広間:石材は2階まで琉球産トラバーチン
国会議事堂・中央広間壁画
中央広間の上部:日本の四季が描かれている
国会議事堂・中央広間天井
中央広間の天井
国会議事堂・中央広間床タイル
中央広間の床モザイクタイル:大理石14種
国会議事堂・中央階段1
中央階段:3F御休所へ通じる階段を、天皇はエレベーターを使わず歩いて登られる
自分が同い年であったら、息が切れるか、関節が痛いかもしれない
国会議事堂・中央階段2
中央階段:壁は徳島産大理石「時鳥」、床は茨城産大理石「茨城白」
国会議事堂・エレベーター
中央広間のエレベーター:7Fまであるが職員も4Fより上に行った事がないという
御休所前ホール
3F御休所前ホール:壁材は徳島県桑野村産大理石「時鳥」
御休所前広間・小壁
3F御休所前ホール小壁:石膏薄肉掘りで桜・橘・菊・桐・松・杉など描かれている
御休所ドア上装飾
3F御休所ドア上装飾:1枚大理石をくり抜いたもの
御休所
3F御休所:ガラス越しに見た便殿(ビンデン)とも呼ばれる天皇の部屋。
鳳凰が飛ぶ小壁は明治記念館「金鶏の間」と似ている。 暖炉の石材は静岡産「紅葉石」
国会議事堂・皇族室
3F皇族室:ガラス越しに見た室内
皇后・皇太子も使用される部屋。 暖炉は福岡県企救郡産大理石「金華山」
国会議事堂・閣議室
2F閣議室
国会議事堂・内閣記者会室前
内閣記者会室前
国会議事堂・中庭
中庭の噴水
国会議事堂・噴水
参議院前の噴水


  建設にあたって国会議事堂の建材は国産品を使う事になり、明治43年~大正5年まで国内の石材調査が実施されました。
外壁は花崗岩と決まり、候補の石を実際に2階まで積み上げて産地を決定したそうです。
1F腰壁は黒髪島産「蛙島石(黒髪御影石)」、2F~上は倉橋島産「尾立石」、一部に新潟産「草水石」が使用されています。 
 年月を経た外装は雨漏りなどで何度か補修されており、屋上(クリンカータイル敷)の防水も更新されています。
平成18年~22年には外壁補修が実施され、目地の劣化による雨水侵入で、引き金物やサッシ枠下地が錆びるのを防ぐため、エポキシ樹脂などで補修し、高圧洗浄で石材の汚れを取っています。
サッシ(議長室・御休所等はブロンズ、それ以外はスチール)の錆びと劣化は、アルミニウムカバーで防ぎ、ペアガラスにして断熱効果を上げています。

【参考文献】
「大理石・テラゾの五十年の歩み」全国石材工業 1965
BELCA news 160「国会議事堂外装改修」笠間桂次 著 2017 ロングライフビル推進協会

【2017年5月 訪問】


comment 0 trackback 0
2018.
01.07
Sun
建築年:大正15年(1926)竣工、何度か改修有り
構 造:鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC)3階+塔屋
設計施工:竹中工務店
所在地:神奈川県横浜市中区尾上町6-85
電 話:045-681-3804
アクセス:JR・横浜市営地下鉄「関内」駅~徒歩約4分
  ※詳しくはコチラ⇒【指路教会
指路教会
 こちらは、ヘボン博士らにより創設された横浜指路教会です。
横浜大空襲(1945)で内部が焼失しましたが、修復されて現在に至っています。
指路教会・玄関
平成の大改修でバラ窓と一部の窓は保存、それ以外の改修済サッシは更新。 玄関のスチール折れ戸は保存し自動扉を新設。
指路教会・鐘
竣工時の鐘は外へ移動された
指路教会・会堂1
会堂前方
指路教会・会堂2
会堂後方
指路教会・椅子
左:内陣にあるベンチ(戦後に改修)
右:古そうな椅子
指路教会・階段
1Fから階段ホールを見上げる(戦時中に内部が焼失した際、スチール階段やトラスの一部が歪んだ)
指路教会1F
1F:戦後2年間は進駐軍に建物を接収されていたYMCAに間貸し(英会話教室)、その後は9室に改造して一時は会計事務所や歯科に貸していた。
平成の大改修で集会室を増やし、可動間仕切り壁で部屋の広さが変更可能に。
指路教会・1F資料室
1F教室
指路教会・金庫
1F金庫:佐倉金庫店製

 文久2年(1862)米国長老教会の宣教師・ヘボン夫妻が、横浜の旧・谷戸橋付近に住宅と診療所を設け、合間にヘボン塾や聖書研究会などを開催。
そのヘボン邸(居留地39番館)は日本の大工が建てた擬洋風建築で、成仏寺(旧住居)内部の造りと似ていたという事です。
 そしてJ.C.ヘボンら長老派の外国人宣教師に南小柿洲吾も加わり、明治7年(1874)ヘボン邸内に横浜第一長老公会が創設され、借地(現在地付近)に耶蘇教講義所を開設。
 翌年、太田町にあった別派の講義所を譲り受けて集会を催していましたが、信徒の増加により住吉町の借地(第二国立銀行所有)に木造の礼拝堂を建立。 明治9年(1876.11.26)献堂式が行われ、『住吉町教会』と呼ばれました。
 その後も信徒が増加し、米国と国内有志からの献金+ヘボンの私財を合わせ、サルダの設計により現在地に煉瓦造の礼拝堂を建設。
サルダ(P.P.Sarda)はフランス出身、エコール・サントラル卒業後に来日し、横須賀造船所付属学校などの器械/理工学教師を経て、横浜の山手で設計事務所を開設。フランス領事館やグランドホテル等を設計していました。
 明治23年(1890)ヘボン夫妻の金婚式を以って教会の定礎式が行われ、記念物が納められた鉄箱をヘボンが尖塔下に埋めました。
その中身は指路教会員名簿・日本基督教会規則の草案・日曜学校生徒の献金等との事。
 明治25年(1892.1.16)献堂式にはヘボン夫妻はリュウマチで参加できませんでしたが、W.インブリーが説教を行っています。
そして教会名はヘボンの郷里のShiloh Churchを踏襲して『指路教会』と改められました。
 しかし、その礼拝堂は関東大震災で倒壊。 建築費の殆どを貿易商・成毛金次郎(ヘボン塾生/東洋貿易商会社長)が寄付し、竹中工務店(設計担当:石川純一郎)が請け負って現在の建物が建設されます。
大正15年(1926.9.5)完成間近の会堂で礼拝が開催され、竣工した10月に献堂式が行われました。
 当初の間取りは…
1F:下足室・日曜学校教室・便所・厨房など(正面右に出入口があった)
2F:会堂・事務室・牧師室
3F:婦人室・応接室
 その後この建物は横浜大空襲(1945.5.29)で貰い火に遭い、屋根が焼け落ちるほど内部が焼失しますが、翌月には1階で、昭和23年(1948)にはテックス貼の2階で礼拝が続けられました。 その後も屋根の葺き替え・サッシの交換などが行われましたが、雨漏りのシミ・屋根の錆び・外壁仕上材の剥落が目立つようになり、平成に入り保存改修工事が実施されました。
 工期1989年10月~1990年3月(改修設計:堀江悦男設計事務所、施工:竹中工務店)
外壁仕上材の浮き部分を剥がして弾性砂骨材吹付け、屋根は鉄板→ステンレスに葺き替え、屋根裏鉄骨補強、室内は全改装、空調新設、改修済サッシの更新、玄関に自動扉を新設しています。 平成2年(1990.5.6)竣工感謝会を開催。

【参考文献】
「ゼー・シー・ヘボン博士 : 新日本の開拓者」山本秀煌 著 1926 聚芳閣
横浜市史稿 神社編・教会編 「指路基督教会」 1932 横浜市役所
「横浜指路教会百二十五年史」横浜指路教会125年史編纂委員会 2004
開港のひろば85『禁酒会のおきて(南小柿洲吾関係史料から)』 2004 横浜開港資料館

【2017年2月 訪問】


comment 0 trackback 0
back-to-top