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2019.
01.27
Sun
所在地:東京都大田区池上1-1-1
アクセス:東急電鉄・池上駅~徒歩約10分 or 都営地下鉄・西馬込駅~徒歩約12分 or
JR大森駅前~バス「本門寺前」下車~徒歩約5分
TEL:03-3752-2331
  ※詳しくはコチラ⇒【池上本門寺HP
池上本門寺
 日蓮聖人が弘安5年(1282) 療養のため常陸にある温泉へ向かう途中、この地にあった池上宗仲の館(現:本行寺)で入滅。
荼毘され、遺灰が安泰されました。
池上宗仲が寺域を寄進して長栄山本門寺が開基されて以降、徳川家や加藤清正らの庇護を受け、大伽藍を形成する大本山に発展しましたが、昭和20年の空襲で殆どの建物が焼失。 五重塔・多宝塔・総門・経蔵だけが延焼を免れました。
池上本門寺・五重塔
五重塔:棟梁・鈴木近江守長次らにより慶長13年(1608)上棟したが、慶長19年の大地震で傾き、元禄15年(1702)現在地へ移築。
その後も何度か修理が施され、平成の大修理(1997年着手~2002年完了)で解体修復工事が実施された。
池上本門寺・経蔵
経蔵:天明4年(1784)再建され、昭和7年(1932)棟梁・小木新七が修復している。
多宝塔の棟梁・小木新七(藤原信盛)は池上本門寺の宮大工であり、嘉永6年の五重塔修理は小木新七(藤原信久)、この経蔵修理は小木新七(薫雄)と、代々襲名した棟梁達が手掛けた。
内部にある八角輪蔵の中に一切経が納まり、輪蔵を発明した傳大士と二子普建普成像(笑仏)が安置された。
桐の抽斗は戦後に改造されており、後に安置された御前立の仏像は2012年1月に盗まれてしまった。
池上本門寺・経蔵内
経蔵内部:ちょうど自動車の安全祈願をされており、内部を拝見する事が出来た。(2017年9月撮影)
奥に見える八角輪蔵は毎年4/28の千部会で子供が回したというが、現在は廻す事が出来ないようだ。
この様に古い輪蔵を回せる寺は少ないが、過去に東京文化財ウィーク特別公開で増上寺へ行った際に、経蔵内にある輪蔵を廻す事が出来たので驚いた事がある。
池上本門寺・多宝塔
日蓮聖人.荼毘跡に建つ多宝塔(木造、基壇と蓮華座は石造)
 当初は荼毘跡に御灰堂が建てられ、その後に多宝塔が完成したが、これは江戸後期に再建された建物で、近年まで遺灰が奉安されていた。
修復も何度か行われたが、避雷針引込部からの雨漏りや、床下の傷みが激しくなり、吉田嘉明氏からの寄付金を受けて平成の大修理を実施。
その事前調査により、外部胴身の亀裂・木部腐朽・彩色や漆の剥離・鏡天井の破れ・小塔の勾欄欠失・折り上げ格天井破損などが判明した。
今回は平成21年(2009)10月に修復現場が一般公開された時の様子をご紹介。
池上本門寺・多宝塔修復1
修復工事中に掛けられた素屋根(修復監理は文化財建造物保存技術協会)
池上本門寺・多宝塔修復5
色彩の修復作業中(材料の岩絵具や膠など)
池上本門寺・多宝塔修復3
色彩が施された斗棋
池上本門寺・多宝塔修復7
作業の様子
池上本門寺・多宝塔修復4

池上本門寺・多宝塔屋根
葺き替えた銅板屋根は黒漆塗りに復元された
池上本門寺・多宝塔修復6
相輪などは補修後に金箔押しされた
池上本門寺・多宝塔修復2
多宝塔内部の様子:膠水による色彩の剥離止めが行われ、この後に漆塗りが施された。
四天柱の上部は当初の色彩が残り、柱下部の漆は3回塗り替えた事が判明している。(壁の鏝絵は明治時代と推測されている)


 多宝塔再建は文政11年に上棟、文政13年(1830)建立し、内部の小塔も完成したようで、10体の瑞亀が支える小塔の蓮華座には文政13年の墨書きがあります。
五五〇遠忌の天保2年(1831)に法要が行われますが、天保10年(1839)まで内部の彩色作業が続けられた事が四天柱の柱貫内側の墨書きにより判明しています。
さらに小塔内に納まる厨子は嘉永年間に完成。 嘉永4年に多宝塔外部の漆塗り胴身部に金属板を巻く修復が施されています。
この多宝塔は小木新七(藤原信盛)が棟梁となり、当時の住職が伊豆国土肥から呼び寄せた平田幸助らも参加して完成しました。
石造の基壇に建つ、木造の胴身部は漆塗り仕上げ。 内部は漆塗りの床に、彩色と漆塗りが施された四天柱が建ち、折り上げ格天井には金箔貼の上に草花が描かれています。(柱外は金箔貼の鏡天井) 中心に納まる宝塔形の小塔(木造)には、厨子に入った舎利器が納められていました。
 多宝塔は明治43年に納骨堂(部分)として用途申請され、昭和初期まで下層天井裏や床下に信者の遺物(遺骨や遺髪の一部・写経・持仏)を泰安。
昭和20年4月の空襲で、池上本門寺境内50棟余りを焼失した中、五重塔・総門・経蔵と共に焼失を免れています。
 何度か修復が行われており、明治22年頃と昭和6年頃に四天柱や小塔の修復がされたと考えられ、昭和の大修理(1971~1973)には屋根葺き替え、床組・小屋組の修理、外の彩色一部と漆塗り替え、胴身部の金属板を撤去して赤漆塗りに復元しています。
 平成の大修理(2007年11月着手~2010年3月完了)では…
外部は彩色や漆の塗り直し、銅板屋根葺き替え、柱・床下・小屋組などの木部修理。桟唐戸欄間を井桁橘に戻す復元など。
内部は漆の塗り直し、四天柱の彩色剥離止め、天井の金箔貼り和紙張替え、壁の鏝絵や金物の補修、小塔の解体修理など。
近代に設置された火災報知器・避雷針は更新され、電気設備と雨落ち排水溝を新設しています。
多宝塔修復が平成22年3月に完了すると、日蓮聖人の数珠、施主の写経、新設の木棺に移した信者の遺物などが6月に泰安されました。

【参考文献】
池上本門寺HP/解説板
「池上本門寺宝塔保存修理工事報告書」文化財建造物保存技術協会 編著 2010 池上本門寺
「池上本門寺」1966 日本美術社

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2019.
01.13
Sun
所在地:東京都大田区池上1-1-1
見 学:通常非公開(年一回程度、公開)
アクセス:東急電鉄・池上駅~徒歩約10分 or 都営地下鉄・西馬込駅~徒歩約12分 or
JR大森駅前~バス「本門寺前」下車~徒歩約5分
TEL:03-3752-2331
  ※詳しくはコチラ⇒【池上本門寺HP
松濤園1
 江戸城無血開城に対し、西郷隆盛と勝海舟は何度か会見しているようですが、その一つが池上本門寺本坊の庭であったと云われています。
その四阿は残っていませんが、年一回この庭が公開され、園内を散策する事が出来ます。
松濤園6
 長栄山 池上本門寺は日蓮宗大本山の一つであり、幾つか子院がありました。
日蓮聖人の入滅地である本行寺も子院ですが、西郷隆盛は理境院(旧:崇安寺)を陣営の宿舎としていたようです。
松濤園2
 日蓮聖人が弘安5年(1282) 療養のため常陸にある温泉へ向かう途中、この地にあった池上宗仲の館(現:本行寺)で入滅。
荼毘され、遺灰が泰安されました。(遺骨は見延山に帰る)
 池上宗仲が寺域を寄進して長栄山本門寺が開基されて以降、徳川家や加藤清正らの庇護を受け、大伽藍を形成する大本山に発展しましたが、昭和20年の空襲で殆どの建物が焼失。 五重塔・多宝塔・総門・経蔵だけが延焼を免れました。
本坊の庭園(松濤園)にあった茶室等も全て焼失しましたが、池泉回遊式庭園は残っています。
松濤園3

松濤園・松月亭
松月亭:平成元年(1989)完成。 高台にある四阿で、茶会では立礼席として使用される。
松濤園・松月亭2
松月亭内部
松濤園・浄庵
浄庵:平成4年(1992)4月完成。 庭園で一番高い所にある茶室
松濤園・灯篭
浄庵にある手水鉢を備えた灯篭(徳利の様な蛇口が付く)
松濤園・浄庵内
浄庵が茶屋になっていた2015年9月公開の様子(左:玄関、右:床の間の棚)
池上本門寺・精進アイス
茶屋の精進アイス
松濤園5

松濤園・根庵
根庵(こんあん):陶芸家・大野鈍阿の旧宅で八畳二間
根庵と鈍庵が平成2年(1990)裏千家より寄贈され、移築して茶会などに利用。
松濤園・根庵内1
根庵 2017年9月公開の様子:立礼席としてお茶券が販売されていた
松濤園・根庵内2
左:玄関の床板           右:琵琶棚(床の間は屏風に隠れて見えない)  
松濤園4
古そうな根庵の濡れ縁:材が炭化しているが、いつ火災に遭ったのだろうか
松濤園・鈍庵
鈍庵:鈍阿の茶室で平成2年に同じく裏千家より寄贈された
松濤園・鈍庵2
鈍庵:四畳中板敷の茶室


大野鈍阿(どんな,1885-1951)は美濃生まれの陶工で、益田孝(鈍翁)お抱え職人として品川御殿山の屋敷で作陶。
益田が小田原へ隠居すると、目切坂上(中目黒駅付近)根津嘉一郎の屋敷に移り住み、窯を開きます。
晩年は等々力で暮らし、終生 作陶を続けました。
鈍阿の私生活は知られていませんが、娘の大野千慧子は裏千家教授であり、大野宗恵として五島美術館の茶会でお手前を披露しています。
鈍阿は気難しい人であったと話しており、作品も畠山記念館に寄付しているそうです。
 
【参考文献】
池上本門寺HP/解説板
日蓮宗東京都南部宗務所HP
陶説479号「児庵日記(4)鈍阿作志野写麒麟文角鉢」宮腰達朗 著 1993 日本陶磁協会

【2015・2017年 訪問】

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2018.
08.05
Sun
建築年:昭和47年(1972)
構造:SRC造一部S造、11F及び13F+BF
設 計:黒川紀章建築・都市設計事務所
所在地:東京都中央区銀座8-16-10
見 学:予約制・有料    ※詳しくはコチラ⇒【中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト
中銀カプセルタワービル
 建て主『中銀』は(ちゅうぎん)ではなく(なかぎん)と呼びます。 銀座を中心に貸ビル事業を展開し、現在は中銀グループとして介護付有料老人ホーム等も運営、介護事業にも携わっています。 ※詳しくはコチラ⇒【中銀グループ
創業者の渡辺酉蔵(とりぞう)は昭和46年に中高齢者専用マンション完成させ、翌年にこの中銀カプセルタワーと、先見的な発想の持ち主であったようです。
万博のタカラビューティリオン(カプセル住宅)を観て黒川紀章に設計を依頼。 反対した社員達に「個人財産を投げ打ってでも行う」と説き伏せて建設を実施、1971年3月着工、翌年4月に竣工。
ビジネス用セカンドハウスとして380~486万円で140戸分譲したカプセルは即完売したとの事。
仕様は3グレード有り、TV・時計・冷蔵庫は標準装備で、オーディオセット・空気清浄機・流し台はオプション。 カラーは白・青・オレンジ・黒からセレクト出来たようです。 当時の管理費13900円には事務サービスやシーツ類の交換も含まれていて、ホテル的な機能も備えていました。
中銀カプセルタワービル・玄関
玄関脇にあるコンビニの箇所は当初、食事サロンになっていた
中銀カプセルタワービル・外部1
左:通用口の丸窓            右:床も丸タイル貼
中銀カプセルタワービル・廊下
このオレンジを内装色に採用した部屋はあったのだろうか(丸窓は各戸の電気メーター)
中銀カプセルタワービル・ブリッジ
2棟を繋ぐブリッジ部分:近くの窓には目隠しつばが取り付けられている
中銀カプセルタワービル・配管
ブリッジの天井裏に隠された配管はプレハブ化され、点検補修用に各戸の床一部が開くという
中銀カプセルタワービル・外部2
最下部は配管がむき出し
中銀カプセルタワービル・外部3
カプセルの最上部:クレーンで吊り上げるための金具が残る
カプセル名「BC-25(中銀ビジネスカプセル)」は海用コンテナをベースに製作
滋賀の工場→神奈川の仮置場→早朝に運び入れて徐々に積み上げていった
140戸のカプセルは入口と窓の位置が、縦/横/左/右の8種類あり、大丸装工部が製作
中銀カプセルタワービル・A904
A904号室は良い状態で現存
当初の床はスーパーデラックスがジュータン敷き、その他はPPフェルト貼であった
中銀カプセルタワービル・ユニットバス1
ユニットバス
中銀カプセルタワービル・ユニットバス2
便器と水栓類
中銀カプセルタワービル・備品
オプションのオーデオセット(TVは標準装備)
中銀カプセルタワービル・机
壁に収納できるデスク
中銀カプセルタワービル・窓
スチール製の二重丸窓は内側のみ開閉可能で、円形状のブラインドが嵌る
中銀カプセルタワービル・照明
照明と煙感知器は当初の物


 福島出身の渡辺酉蔵(1921-1991)は鉄道員になるも、中央大学卒業を経て弁護士に。
東京の王子で洋裁学園や英語学校も経営しつつ運営は妻・幸子に任せ、昭和28年に順天高等学校も継承しています。
新校舎建設資金を稼ぐため貸しビル業を始めますが、建設したブロック造3階建の建物が地盤沈下を起こし、順天高等学校の経営を諦める事に。
貸しビル業が軌道に乗ると再び順天高等学校を継承。一方で東京ドレスメーカー女学院となっていた洋裁学園は順天デザイン専門学校となりましたが昭和58年に廃校。 その一部は順天学園に受け継がれています。
晩年は宗教法人・平和の礎を継承し、熱海に4階建て納骨堂マンシオンを計画しますが、7mの敬老観音(制作:堤直美)だけが完成しています。

【参考文献】
新建築47(6)「中銀カプセルタワービル」新建築社 1972
都市開発10(110) 「反響呼ぶ中銀カプセルマンション」 都市開発研究会 1972
「空を買った男 : 渡辺酉藏伝」渡辺孝蔵 著 1992

【2017年8月 訪問】


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2018.
02.11
Sun
建築年:昭和11年(1936)竣工
構 造:鉄骨鉄筋コンクリート造、3F+塔屋+BF
設 計:大蔵省臨時議院建築局(原案は宮内省内匠寮有志によるコンペ作品)
所在地:東京都千代田区永田町1-7-1

国会議事堂3
国会議事堂では国産の石材・木材が多用され、その装飾として様々な彫刻が施されています。
国会議事堂・装飾3
〔中央塔屋〕 左:壁面(アカンサス?)、 右:頂華/フィニアルfinial 的な箇所(蓋付き甕)
何故か至るところに壺/花瓶/蓋付甕…様々な瓶(へい)の文様が彫刻されており、唐草文様/人工的葉飾りもよく見かける
国会議事堂・装飾1
左:中央玄関上の外壁(瓶)
右:階段塔屋の外壁(アカンサスの蕾?)
国会議事堂・装飾2
中央玄関ホールの階段脇
国会議事堂・装飾9 
中央玄関ホール脇のドア上(瓶と?)
国会議事堂・装飾5
左:中央広間の照明(瓶)
右:中央玄関ホール/広間のドア枠(瓶と鳳凰) 天皇が足を踏み入れる場所には鳳凰の装飾が見られる
御休所ドア上装飾
御休所ドア上装飾(アカンサス・瓶・棕櫚・?)
天皇の控室で、鳳凰は部屋内の壁面に描かれている。 
国会議事堂・装飾6
上:参議院議場の玉座上(鳳凰・菊・桐・唐草)
皇室の紋章の十六八重表菊花紋、日本政府の五七の桐花紋をアレンジ(花びらの枚数が違う)
下:中央玄関のドア(瓶・鳳凰)
国会議事堂・装飾15
参議院議場の貴賓席下(パルメット)
参議院議場・扉
参議院議場のドア(瓶・唐草)
国会議事堂・装飾8
参議院議場の各所(瓶・唐草)
参議院・御傍聴席
参議院議場のバルコニー(盾と剣・農作物と鎌・工具・翼と杖・唐草など)※衆議院も同様
貴族院の旧議場にある士農工商を表す装飾で、華族以外に学者や多額納税者等の貴族議員枠があった。
秘書官室・ドア上装飾
秘書官室ドア上(瓶・唐草)
国会議事堂・装飾12
参議院1Fホール上部(瓶・唐草) ※衆議院も同様
国会議事堂・装飾11
参議院玄関ホール脇のドア上(有翼の獅子・葡萄と穀物?)
国会議事堂・装飾13
空調ガラリ(瓶・花唐草)


 実は国会議事堂の設計者は一人ではありません。 計画段階から担当していた妻木頼黄・武田五一、コンペ優勝者の渡邊福三、実施設計を担当した矢橋賢吉・大熊喜邦・吉武東里など、様々な技師や役人が関っています。
建物は大正9年に着工し、関東大震災で工事が一時中断。 日本の復興と清栄を願い、設計管理者や施工会社の現場監督、一流の職人達の技術で完成しました。

【2017年5月 訪問】

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2018.
02.04
Sun
建築年:昭和11年(1936)竣工
構 造:鉄骨鉄筋コンクリート造、3F+塔屋+BF
設 計:大蔵省臨時議院建築局(原案は宮内省内匠寮有志によるコンペ作品)
所在地:東京都千代田区永田町1-7-1

国会議事堂2
衆議院に引き続き、参議院70周年特別参観が平成29年5月(2017.5.20~5.21)に開催され、中央玄関や議場内部が特別公開されました。
参議院・登院表示盤
参議院・登院表示盤:議員が登院した時にボタンを押すと、数カ所ある表示盤のランプが同時に灯る
参議院・1Fホール
参議院・1Fホール
2Fホールまでの腰壁・柱・手摺の石材は黒部峡谷付近のオニキス、階段の段石は山口県産「薄雲」
参議院議場
参議院の議場:普段の見学コースでは入る事が出来ない
参議院議場・議員席
議員席:記名投票用の木札入れ(青票・白票各6枚)を職員に開けてもらう
平成10年(1998)第142回の本会議から押ボタン式投票機に変更されて自動になったが、機械が組み込まれていない席が何ヶ所かある。
椅子・机は桜材
参議院議場・席
議長席と天皇の席:会期の初めに両議院の議員が参議院議場に集まり、天皇をお迎えして開会式を開催
会議中は進行補佐をする事務総長が議長の隣に座り、副議長は自分の席に座る
参議院議場・書記席
左(速記者席): 時計が5分毎に鳴り速記者が交替
右(速記者用の通路):1F記録部から直通の階段
参議院・御傍聴席
議場バルコニー中央:天皇の御傍聴席は完成してから一度も使用された事がない。
手前に記者席、両脇に一般傍聴席があり、バルコニー装飾には士農工商のモチーフが彫刻されている。
議場内部の木部は欅材の摺漆塗り仕上げ
参議院議場・天井
天井埋込み照明:宇野沢ステンドグラスが制作したもので、真鍮製の防護ネットが張られている
参議院・第一委員会室
参議院3F・第一委員会室
参議院・議長応接室2
参議院2F・議長応接室
参議院・議長応接室1
議長応接室:こちらは歴代議長の額がないのでホッとする
参議院・第一委員会応接室暖炉
議長応接室の暖炉と刺繍画:直火ではなく放熱器を使用。 石材は岩手県上閉伊郡産「紫雲」
参議院・自民党&こころ控室
参議院2F・自民党&こころ控室(訪問時)
参議院・自民党&こころ控室2
参議院2F・自民党&こころ控室:登院すると札を裏返す昔ながらの形式で趣がある
参議院・民進党控室
参議院2F・民進党控室:訪問時は蓮舫議員が代表であった
参議院・公明党控室
参議院3F・公明党控室
参議院・公明党控室天井
参議院・公明党控室:装飾はとても凝っている

※次回は国会議事堂の装飾に焦点を当ててみます。

【参考文献】
「国会あちらこちら」服部恵龍 著 1960 信貴書院
「大理石・テラゾの五十年の歩み」全国石材工業 1965

【2017年5月 訪問】


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