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2018.
07.22
Sun
庭園開放:平日9~15 時迄、無料
所在地:岩手県盛岡市愛宕町14-1
アクセス:盛岡駅前~中央公民館前バス停下車スグ
TEL:019-654-5366

中央公民館
 公民館の敷地内に移築された建物。 貸室のため開放されておりませんが、許可を得て拝見させていただきました。
※現在は建物を管理する公民館が2018/4/1~2020/3/31まで大規模改修工事で休館中のため、庭園は開放していますが貸室は休止のようです。
詳しくはコチラ⇒【盛岡市中央公民館

◆南部伯爵家別邸
建築年:明治41年(1908)
南部伯爵家別邸2
 元々こちらにあった建物。 かつてこの地は盛岡藩の御薬園であり、後に下小路御屋敷という藩主の別荘となっていましたが、明治の混乱期に庭と建物が壊され荒廃。
南部伯爵家別邸として建造が行われ、長岡安平が整備計画したと云われる庭園は、地元の庭師・内田徳太郎が担当しました。
建物は明治40年5月着工、翌年9/25竣工。 盛岡出身の葛西萬司が設計監修し、遠藤精一(旧藩士)らが現場監理、棟梁は戸澤甚太郎が担当しました。 
昭和30年代から公民館となり、昭和55年に施設を新築するため玄関と接客空間を残して解体され、現在は別館となっています。
南部伯爵家別邸・大広間
大広間
南部伯爵家別邸・釘隠し
釘隠し(左上は廊下、その他は大広間) 
南部伯爵家別邸・天井
大広間の格天井
南部伯爵家別邸・内部
控室(洋間)は貸切り中のため拝見できず
   

◆白芳庵 ※保存のため貸室不可
建築年:大正7年(1918)昭和34年に移築
白芳庵
 内閣総理大臣を務めた原敬の別邸・介寿荘(一山荘)内にあったもので、組閣記念として造られた離れを原敬は「田舎屋」と称していました。
主屋(1909)を進駐軍や東北電力・県会議員の宿舎として賃貸するなかで、2階部分と茶室が焼失。
主屋は解体され、七十七銀行/日本生命に地貸しする事になり、庭木・庭石も競売に掛けられます。
その中で原敬が最も愛でた聚光院型灯篭は、一山もち翁?の店へ譲渡されたようですが、今もあるのでしょうか。
「田舎家」は昭和34年に原家が盛岡市に寄贈し、移築費用は七十七銀行が負担。 養嗣子の原貢が「白芳庵」と命名しました。
茶室にするため移築の際に四畳半に躙り口を付け、3帖間は水屋に改装されています。
白芳庵2
裏側
白芳庵3
広間(八帖)
白芳庵・床の間
広間の床の間には様々な材を使用
白芳庵4
小間(四畳半)
白芳庵5
左:水屋(新設)           右:附属室
白芳庵6
左:便所も改装済み        右:手水場は当初のまま(手水器は新しい)

聖風閣
聖風閣
明治天皇が明治9年に東北ご巡年の際、行在所となった菊池金吾郎邸(賜松園)御成の間を移築
聖風閣・内部
聖風閣・座敷
聖風閣・床の間
唐紙は張り替えられているが、飾り棚の戸襖は当初の物と思われる


◆愛宕亭
建築年:不明、昭和55年に移築
愛宕亭
公民館南側の国道沿いにあった俳人・山口青邨が幼少期を過ごした家が解体され、昭和55年の公民館新築の際、建物の一部を移築し「愛宕亭」と命名。
愛宕亭・内部
床柱など殆どが新しい材に交換されているようだ


旧中村家住宅(国指定重要文化財) ※貸室不可
建築年:江戸末期、昭和49年に移築
中村家住宅・移築前平面図
盛岡市南大通2丁目にあった呉服商「糸屋」の主屋や土蔵の一部を移築
中村家住宅
店(左下:夏用の冷風通気口か、 右下:雪国なので格子戸と突き上げ戸の間に空間を設けている)
中村家住宅・かんざ
鴨居の上に吊るされた南部箪笥
泥棒も手を出しずらく、床上浸水対策にもなっている
中村家住宅・居室
左:内帳場の奥に仏間
右:仏間の横は囲炉裏付きの常居(居間)
中村家住宅・応接間
応接間にある紫根染布張り椅子(大正期頃)
江戸時代のムラサキ草を使った草木染「南部紫」は藩の許可を得た問屋が専売していたという。
中村家住宅・店2F
店の2階にある客用の座敷

【参考文献】
「庭園物語」1954 岩手日報社
「白芳庵随筆」 山田勲 著 1961  新岩手社
「岩手県近代和風建築」 岩手県教育委員会 2007

【2017年6月 訪問】


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2018.
07.08
Sun
紺屋町番屋
(紺屋町番屋)

盛岡の古い建物を訪問する中で見つけたグルメを紹介します。


【白沢せんべい店】
白沢せんべい
 岩手では古くから小麦の栽培が行われており、様々な加工食品が生まれ、近年では盛岡冷麺・じゃじゃ麺などが名物となっています。
その中でも私は固い煎餅や乾パン等が好きなので、紺屋町番屋の斜め前にある南部煎餅の老舗をご紹介します。
この本店では裏に工場があり様々な味(ゴマは数種類・冷麺・かぼちゃ・抹茶・コーヒー等)がバラ売りされ、まとめ買いするとおまけが付きます。
『コーヒー』は珈琲豆の粒入りで香りが良いし、『冷麺』もそのままの味がしますが、塩クルミが一番美味しく感じました。
【白沢せんべい店】 9:00~17:40, 盛岡市紺屋町2-16(総合福祉センター入口バス停近く) TEL:019-622-7224   


【清月堂】
清月堂
昼食を取る間もなく貸自転車で盛岡の中心地から一ノ倉邸へ向かう途中、『だんご』の看板に吸い寄せられる。
清月堂3
 みたらし・ゴマ・クルミ・アンコがある中、ゴマとクルミを注文。 店の主人が皿に盛り付けてくれた団子を店内の小さな席で食しました。 
ゴマだれは自分好みの甘じょっぱさで美味しいですが、岩手県産を使っていると思われるクルミ団子は特にお勧めです。
どうやら有名な和菓子屋だったようで、「くりっこ」という第22回全国菓子大博覧会(4年に1回開催1994年.金沢)金賞の和菓子など数種類を購入してみました。
「くりっこ」は栗とアンコが入ったドーナツ風の素朴な菓子ですが誠に美味しく、他にも「バナナボート」なる洋風な菓子を作っている和菓子屋です。
清月堂2
 ちなみに店の前の県道220号線は交通量が多く路肩を自転車で走るのは危険で、人が歩いていない歩道を通行するのですが、点字ブロックが延々と続き、所々に車両出入用の落ち込みがあるため少々危険。 川越しの強風が吹き、自転車が横断できない交差点もあるので、裏道を通った方が無難です。
【清月堂】 9:00~18:30,正月・お盆お休み, 盛岡市夕顔瀬町17-18(盛岡駅~約1.2㎞,夕顔瀬橋/片原バス停近く) TEL:019-622-6754 


【旧 井弥商店(盛岡正食普及会/糧玄食品)】
建築年:店は明治44年(1911),後ろの蔵は江戸後期
構 造:土蔵2階建て
所在地:岩手県盛岡市上ノ橋町1-48(上の橋バス停~徒歩約3分)
旧 井弥商店1
 村井弥兵衛の井弥商店として建設され、明治41年(1908.5)着工、明治44年(1911.4)竣工。 設計は東京神田の人と云われています。
昭和時代に類焼しており、二度目の火災で屋根が焼け落ちたため2階を修復して現在の形となっています。
後ろにも土蔵造りの建物が2棟あり、どれかは不明ですが言伝えによると、外壁下地のマユミの木小舞に巻き付けられている縄は蕨で、壁土には地元の土が使われ、糊とマツポコリという煤を混ぜた上塗りで仕上げられているそうです。
旧 井弥商店JPG
出入口にあるショーケース
旧 井弥商店2
室内1階の県南産ケヤキ材は昔の様子を留め、2階は火災により改修されている(住宅)
旧 井弥商店3
 戦後に盛岡正食普及会が発足し、糧玄食品㈱が創業されて村井弥兵衛が社長に就任。 建物はパンや自然食品を売る店舗として使用されていました。
店内に並ぶパンは裏の工場で県内産の小麦粉を自家製粉して焼き上げたとの事。 ずっしりと重みのある黒糖等を使用した薄茶色の食パンは、天然酵母の味がしました。
 建物について店主に訊いている内に、間もなく閉店休業してしまうという話が。 公会堂多賀に続いてこの店も閉店するとは…。
よく見ると店内の自然食品も品薄で、買い物に来たヒッピー風のおじいさんは目当ての商品を購入できずに帰ってしまいました。
硬いロシアビスケットが有名だというのを後日知り、悔やむばかりです。
糧玄食品
 かつては学校給食にこの店のパンが提供されていたというから、子供達の記憶にも残っているでしょう。
調べてみると、先代・村井良和社長(弥兵衛の子息)はパンの研究開発に取り組み、岩手県パン工業組合理事長を務めた他、水泳教育振興で旭日双光章を受章、2016年に他界されたとの事。
事業は息子さん達(兄がパンを焼き、弟が販売)が一時受け継ぎましたが、株式化されている等の事情から現在は閉店休業しています。
いつかまたパンやビスケットが味わえるよう願うばかりです。
彩園子
 後ろの蔵は江戸後期の建物で、基礎はコンクリートに、1階の床は石敷きに改修されています。
昭和50年代から1階がギャラリー『彩園子』、2階に雰囲気ある喫茶店『一茶寮』(両店共10:00~19:00 日曜休み,TEL:019-653-4646)が営業。 メニューで気になったヨーグルトゼリーを頼みましたが品切れでした。

【参考文献】
「もりおか物語8」 盛岡の歴史を語る会 1978
「岩手県近代和風建築」 岩手県教育委員会 2007
「村井良和氏 旭日双光章受章を祝う会」 2011 

【2017年6月 訪問】



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