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2018.
09.30
Sun
開 館:9時~17時(展示替え中,12〜2月は休館)
見 学:有 料
所在地:長野県北佐久郡軽井沢町塩沢湖202-3
アクセス:軽井沢町内循環バスor 西武バス「塩沢湖」バス停近く
TEL:0267-45-1175
   ※詳しくはコチラ⇒【軽井沢高原文庫

 昭和60年(1985)開館し、軽井沢に所縁のある作家の資料などを展示する他、園内には別荘も数棟移築されており、共通券を購入すれば隣の軽井沢タリアセンにある建物も見学できます。
野上弥生子書斎1
野上弥生子書斎『鬼女山房』 
建築年:昭和8年(1933)、平成8年(1996)移築
野上弥生子書斎2
法政大学村(北軽井沢)にあった作家・野上弥生子の別荘の離れで、自ら山姥と称して1980年代まで夏を過ごした。
左奥には水屋が有り、茶室としても使える。(機械の下に炉が切ってある)
野上弥生子書斎3
左:玄関                 右:玄関脇にあるトタンの流し台
野上弥生子書斎4
裏手には便所も設置されており、快適な書斎となっている


堀辰雄山荘1
◆堀辰雄1412番山荘
建築年:大正時代、平成20年(2008)移築
堀辰雄山荘・暖炉
左:暖炉表側               右:暖炉裏側
堀辰雄山荘・天井
吹き抜けた天井に土管の煙突
堀辰雄山荘・内部
左:壁や戸には網代編みのアンペラが張られている        
右:軽井沢彫りの箪笥や堀辰雄が使用した家具も展示
堀辰雄山荘2
 これは釜の沢にあった建物で、昭和16年に聖公会の宣教師P.A.スミスから譲り受けたものだが、堀辰雄は油屋の離れを疎開先とし、戦争で家を失くしたドイツ人女性に暫く貸していた。 その後、信濃追分に新居を建てたため、深沢省三・紅子夫妻が別荘として借りていた。
 深沢夫妻は盛岡出身で、昭和22年(1947)岩手県公会堂の地階に開設された岩手美術研究所で指導にあたり、翌年には県立岩手美術工芸学校を設立する等、しばらく故郷で活動している。
その後も省三は岩手の大学で教鞭をとっていたが、紅子は東京・石神井にアトリエを構え、喘息治療の傍ら自由学園の講師をしていた。
夫妻は山中湖にも別荘があり、省三は1992年3月24日、紅子は一周忌の翌日にその別荘にて永眠した。
深沢紅子の美術館は軽井沢タリアセン内の旧郵便局2Fにある。


有島武郎別荘1
◆有島武郎別荘『浄月庵』 
建築年:明治末期、平成元年(1989)移築
有島武郎別荘2
 作家・有島武郎が大正5年から夏を過ごした別荘。 大正12年に婦人公論記者・波多野秋子とこの建物1階で心中した。
この別荘は税関長(横浜税関本関)を務め、後に実業家となった父・有島武が、明治末期に三笠ホテルの近くに建てたもので、近年まで現地にあったが平成元年(1989) 旧軽井沢区青年部.樫の実会より寄贈を受けて移築された。
有島武郎別荘4
左:階段              右:裏口
有島武郎別荘・2F
2F
有島武郎別荘3
1階はcafe「一房の葡萄」となっているが現在は休業している。(10〜17時,不定休,TEL:0267-46-2001)

【2017年9月 訪問】
※下線で記載したものは訪問記がありますので、クリックしてご覧ください。



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2018.
09.17
Mon
建築年:明治26年(1893)
所在地:長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢815(草軽交通駅舎旧軽井沢の裏手)
見 学:事前予約制 
TEL:0267-45-8695(軽井沢町 教育委員会 生涯学習課 文化振興係)
 
※下記の日は予約無しで見学可   詳しくはコチラ⇒【八田別荘
【2018夏の一般公開】2018.8.11㈯~9/30㈰の土休日,10時~15時迄(外からの見学)
八田別荘1
 明治から外国人の避暑地として人気があった軽井沢。 その影響を受けた日本人初の別荘が現地保存されています。
施主・八田裕二郎の自宅は東京小石川に在りましたが、霧積温泉で療養した際に軽井沢を訪れ、別荘で夏を過ごす外国人に感化されて土地を購入。
当時の軽井沢は電気や水道もなく、配電されたのは大正3年でしたが、八田別荘では昭和の初め頃までランプの生活をしていました。
海軍大佐であった八田裕二郎は、病気で休職した療養中に軽井沢を訪れ、後に別荘を建て軽井沢避暑団の理事も務めました。
若い頃の留学経験から語学も堪能で、外国人や地元住民から相談を受ける事もあったのでしょう。
海軍時代には有栖川宮威仁親王と同じく海軍特別調査局に在籍した時期もあったようです。
福井市出身で明治45年(1912)当選して衆議院議員になると、憲政擁護運動の県民大会を開くための会合を主催しています。
この建物は近年まで八田家の別荘として残されていましたが、平成26年度に軽井沢町へ譲渡(建物は寄贈)されました。
八田別荘2
北側:勝手口と浴室・便所がある
八田別荘3
東側:右手の穴は井戸の跡で埋められている
八田別荘・基礎
基礎と土台
八田別荘・サンルーム
玄関脇にあるサンルーム
八田別荘・1F座敷1
1F座敷
八田別荘・1F座敷2
座敷の奥に茶の間
八田別荘・茶の間
茶の間:円卓はちゃぶ台形式で脚をたためる
八田別荘・台所
左:台所                右:洗面所
八田別荘・浴室
左:浴室内の洗面台         右:近年まで使用したため改装されている
八田別荘・便所
便所も改装済み(左:便所前の棚、右:便所内部)
八田別荘・寝室
1F寝室
八田別荘・2F
2Fは一部屋のみだが、子や孫たちが雑魚寝する光景が思い浮かぶ
八田別荘・屋根
トタン屋根
 この別荘は自費で建設したものだが、勤務地の高等官以上の官舎は有料であったようで、玄関・取次の間・床の間付き室は公用として家賃の対象から除外すると海軍規則に書かれている。
ちなみに横須賀鎮守府司令長官舎と同じ敷地内にあった司令副官の官舎は、建坪40坪・平屋の日本家屋であった。
八田別荘・地蔵
明治43年(1910)の大洪水で流れ着いたお地蔵様

【参考文献】
時事評論1913.8「沈着綿密なる御性質」豫備八田海軍大佐 著
「福井市史 通史編 3 (近現代)」福井市 2004

【2017年9月 訪問】


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2018.
09.02
Sun
浅間山
 堀辰雄や立原道造らがこよなく愛した信濃追分。
江戸時代、北国街道と中仙道の合流地点として大いに栄えた追分宿があった。
信濃追分駅
◆信濃追分駅
国鉄/JRの駅であったが、新幹線開通により信越本線は無くなり、しなの鉄道の駅となった。
現在は無人駅だが、別冊.暮しの手帖『あたらさん(休刊中)』の編集室があり、信濃追分駅を管理している。
追分宿まで徒歩30分程あるので軽井沢町コミュニティバスに乗り、「追分昇進橋」か「追分公民館」バス停で降りると良いだろう。
浅間神社
浅間神社(あさまじんじゃ)
由緒書きによると、明治元年に浅間山が鳴動し、翌年に度々噴火。 心配した住民が県知事に上申し、勅祭が執り行われた。 
本殿は室町時代のものと云われるが、柱などは交換されており、天明8年(1788)の棟札が見受けられるとの事。
御影用水の上堰
御影用水の上堰:佐久平の地を潤す灌漑用として、江戸初期に掘削された。
御影用水の源流は2つあり、上堰は千ヶ滝、下堰は白糸の滝を水源としている。
浅間神社前の水流は上堰だが追分宿には下堰もあり、各旅籠はその水を引込み、台所や風呂場で使っていたようである。
堀辰雄邸
堀辰雄文学記念館:軽井沢町大字追分662  TEL:0267-45-2050
【開館】9~ 17:00 (入館は16:30迄) 【休館】水曜(祝日の場合は開館,7/15~10/31無休)・年末年始
昭和26年この地に新築し、亡くなるまで暮らした家が残る
堀辰雄邸・書斎
掛け軸「雨過山如洗」は川端康成から新築祝いとして贈られたもの
堀辰雄邸2
左:書庫を新築して蔵書の並べ方を妻に指示していたが、完成を見る事なく他界した
右:机や椅子は堀辰雄がデザインした
旧 油屋
旧 油屋(文化磁場油や):軽井沢町大字追分607
 江戸時代に脇本陣であった油屋は一二を争う大旅籠屋であった。 明治5年の芸娼妓解放令以降は旅館となり、堀辰雄・立原道造らが訪れる静かな宿となっていたが、昭和12年(1937)隣家の出火で類焼し、翌年に現在地へ移転し再建された。
近年になり旅館閉業で解体の危機が訪れたが、平成24年に「油やプロジェクト」が開始され、修復・改装して再生した。
【営業】4月下旬~11月初の11~17時(GW/夏季を除く火・水は定休日) TEL:0267-31-6511
※内部の様子はコチラ⇒【旧 油屋
追分コロニー
追分コロニー:軽井沢町大字追分612(旧 油屋の東隣)
江戸時代の旅籠『柳屋』が2006年に再建され、その建物を借りて古本屋を営むご夫婦は、旧油屋を再生した油やプロジェクトの創設者でもある。
【営業】12時~夕暮れ迄(4~10月:木曜~日曜日、11~12月:週末+祝日のみ) TEL:0267-46-8088
※詳しくはコチラ⇒【追分コロニー
追分コロニー裏
追分コロニーの裏にある貯水池:御影用水の上堰から水を引込み、旅籠『柳屋』で使ったのだろうか。
亀田屋1
旧 亀田屋:軽井沢町大字追分604-2
現在、亀田屋商店 と 布来籠工房ままごと屋(TEL:0267-45-4008)が営業
亀田屋2
旧 亀田屋は追分宿でよく見られた建物の特徴が残る
追分宿本陣跡
本陣跡(土屋市左衛門邸) ※建物は現存せず
江戸時代は参勤交代の大名が泊まり、明治11年に天皇の行在所にもなったが、明治26年の信越線開通後は宿場町が衰退していった。
追分宿本陣の裏門
本陣の裏門(天保2年)
御代田町の内堀邸に移築されていた裏門が平成17年に軽井沢町に寄贈され、堀辰雄文学記念館の前に移築された。
追分公民館
追分公民館
こちらが地元住民と別荘会の寄付により建設されたという、武 基雄が設計した追分区集会所か?
武 基雄(1910-2005)は早稲田大学卒業後、石本喜久治建築事務所に勤め、立原道造と同期であった。
看板の書は、追分宿三浦屋の子孫で女流書家・稲垣黄鶴によるもの。
津軽屋1
◆枡形の茶屋(茶屋本陣)旧 津軽屋 
江戸時代は旅人の休憩所であり、大勢の客がある時は土間の端に寄せておいた炉付き縁台2つを出した。
奥や2階に座敷があり、待合としても使われたというが、改築(建替え?)されている。
津軽屋2
津軽屋の漆喰看板
追分宿は西側だけ枡形(折れ曲がった街道)があり、石垣で押えた芝土手に木戸が設けられたと云われる。
追分宿の分去れ
追分宿の分去れ(左:中仙道,右:北国街道)
石造物群 …鳥獣供養塔.勢至菩薩(勢至立像),廻国塔(文字塔),勢至菩薩(勢至立像),子育地蔵(子育座像),伊勢講供養塔(常夜燈),子育地蔵台石(道標銘),歌碑(森羅亭萬象の歌碑),道標,道祖神
追分・子育地蔵
子育地蔵(子育座像)
上の台座には各地までの距離、下の台座には願主名、善光寺銅佛地蔵建立と刻まれているが、ぬれ仏と何か関係があるのだろうか? 

【参考文献】
「食売女」岩井伝重 著 1968
「軽井沢町・御代田町文化財マップ」長野県東信教育事務所 2015 

【2017年9月 訪問】


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