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2018.
11.18
Sun
建築年:昭和6年(1931) 
構 造:木造平屋一部2階建
所在地:愛知県知多郡美浜町大字野間字須賀91-1
アクセス:名鉄「野間」駅~徒歩約20分(町営ミニバス自然号あり)
公 開:イベント時など
 
※2018年の特別公開:11月25日(日)10:00~15:30 予約不要 
野間郵便局旧舎
 毎年 愛知県では、愛知登文会(登録有形文化財所有者の会)による建物特別公開が実施されています。
※詳しくはコチラ⇒【愛知登文会HP
野間大坊・野間灯台で有名な美浜町にあるこの郵便局は昭和6年~昭和53年まで使用され、隣に局舎が新築されたため現在は『對雙鑑浦堂(たいそうかんぽどう)』として地元のイベントなどに使用されています。
訪問時には局舎を建てた森田定吉の孫・5代目局長が解説をされていました。
野間郵便局旧舎・1
 森田家の当主は代々『伊助』を襲名して廻船業を営んでいましたが、明治13年に三代目・伊助が自宅にて五等郵便局を開始。
明治34年に別の地に局舎(木造洋風2階建)を新築しますが、事務量の増加などで手狭となり、局長となった従兄の森田定吉が昭和6年にこの局舎を建てました。
この様に明治~昭和初期の郵便局は、財力がなかった国の代わりに各地の有力者が土地や建物を無償提供し営業していました。
野間郵便局旧舎・5
公衆室(左側:区分室、右側:局長室)
野間郵便局旧舎・発着室
左:スタンプの収納箱          右:発着台
野間郵便局旧舎・私書箱
カウンター下にある私書箱(表・裏)
野間郵便局旧舎・電話室
出入口脇の電話室
野間郵便局旧舎・休憩室
休憩室
野間郵便局旧舎・階段
左:箱階段                 右:扉のラッチがビー玉!
野間郵便局旧舎・2F
2階:電話交換業務の宿直室として使用。 電話交換は明治43年から開始している。
野間郵便局旧舎・屋根裏
表は洋風、裏手は和風の造りで、それぞれの屋根は洋小屋と和小屋になっている
野間郵便局旧舎・台帳
『野間局 各種事務取扱累年統計台帳』-預入金額の推移
字の特徴から定吉局長が書いたとの事で、デザインの勉強もしたのだろうか、きれいにレタリングされている。
野間郵便局旧舎・申請図1
申請図の原本
野間郵便局旧舎・申請図2
局長の森田定吉(1879-1955)は村長・群会議員を務め、陶芸家の井上楊南とは義兄弟で、日本画が得意であったという。
この局舎の平面計画は定吉が行ったと云われているが、美術・建築系の学校には行っていないとの事。
申請のため独学でパースも描いたとしたら凄いものだ。
野間郵便局旧舎・立面図
設計士が描いた図面
野間郵便局旧舎・平面図
実施設計で多少の変更が行われ、施工は小野浦の樋口松太郎が請け負い、芦屋の洋館改修で経験を積んだ弟子の杉村定次郎が担当した。
野間郵便局旧舎・展示物
展示品(2000.1.1の消印も)
岡田郵便局
岡田郵便局(現・知多岡田簡易郵便局)
 同じ知多郡にある明治時代の現役の郵便局(出入口廻り・内部など改修済)
知多貯蓄銀行.岡田出張所の取扱人であった伊井又兵衛(金之助)が明治32年に自宅にて郵便業務を開始。 この局舎は明治35年頃に竣工した。
昭和41年の郵便局移転で閉鎖となり、街並み保存会の事務所等に使用されていたが、平成5年に復活している。

【2017年11月 訪問】

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2018.
11.05
Mon
建築年:昭和6年, 何度か改修有り
構 造:鉄骨鉄筋コンクリート3階建て
設 計:中村與資平(中村工務所),  施工:松村組
所在地:愛知県豊橋市八町通二丁目22番地
アクセス:豊橋鉄道「市役所前」~徒歩約1分
TEL:0532-51-3077

豊橋市公会堂1
 毎年 愛知県では、愛知登文会(登録有形文化財所有者の会)による特別公開が行われています。
2017年の豊橋市公会堂ではバックヤードツアーが実施されました。
※2018年の特別公開:11月18日(日)ガイドツアー13:30~14:15/15:00~15:45(予約不要・自由見学無し) 
詳しくはコチラ⇒【愛知登文会HP
豊橋市公会堂2
 大正9年に豊橋電気㈱が買収されるという話が持ち上がり、市営に向けて豊橋市議会が動き出しましたが、名古屋電灯㈱との合併が強行され、政治問題に発展。 県が仲裁に入った結果、和解の条件として名古屋電灯㈱は電気料の値下げと公会堂建物を寄付する事になりました。
しかし、建設予定地の八町高等小学校の移転先送りで延期され、昭和3年に大典奉祝記念事業として建設が決定。
昭和5年5月上旬に設計が完了すると、6/16工事請負入札、7/25地鎮祭、約17万円の建設費をかけて翌年8/24竣工、11/1に落成式を兼ねて市制25周年記念式が開催されました。
昭和23年に『豊橋中央公民館』と改称され、昭和27年から公会堂として復活。
昭和42年に市民文化会館が完成すると、昭和44年~昭和54年まで建物1階は市民窓口センターとして使用されます。
昭和56年に外灯・面格子を復元。 昭和58年にホール・会議室・正面門扉などを改修し、その後もエレベーターや空調・電気設備を改良。
平成11-12年度に外壁を再現する改修が施されました。
豊橋市公会堂・1F外玄関
1F外.出入口
豊橋市公会堂・1F内玄関
1F中.出入口(二重になっている)
豊橋市公会堂・案内図

豊橋市公会堂・2Fロビー
2階ロビー
豊橋市公会堂・階段1
階段(ステンドグラスは復元品)
豊橋市公会堂・階段2

豊橋市公会堂・階段3
塔のドーム
豊橋市公会堂・貴賓室
2F貴賓室
豊橋市公会堂・客席
ホール
豊橋市公会堂・客席2
建設当初は1557名収容であったが、昭和47年の改修で座席が半数となり、平成の改修で椅子が交換された
豊橋市公会堂・舞台
舞台袖
豊橋市公会堂・舞台天井
舞台天井
豊橋市公会堂・舞台裏
左:2F照明調光室            右:舞台裏通路
豊橋市公会堂・通路
裏通路
豊橋市公会堂・3F予備室
3F予備室(現在は倉庫)
豊橋市公会堂・通用口
通用口(外壁は人造石洗い出し仕上げ+タイル貼)
豊橋市公会堂・窓口
夜間窓口
豊橋市公会堂・装飾1
上:貴賓室に展示されている昔のステンドグラス(平成の改修で交換)
下:塔の鷲は復元品で、こちらが当初の物
豊橋市公会堂・塔

 明治13年に浜松で生まれた中村與資平は、東京帝国大学院生時代に辰野葛西建築事務所に入所。
朝鮮に渡り、第一銀行韓国総支店(現・韓国銀行本店)を担当。 明治45年に独立して京城市内に中村建築事務所を開設し、大正6年に大連市にも事務所を構え、50棟以上の設計を手掛けました。
所員アントン・フェラーとの欧米旅行を経て、大正11年に帰国すると東京に中村工務所を開設。
自邸があった高圓寺(高円寺)界隈は、戦時中の空襲で一帯が焼失しましたが、故郷へ疎開していたため難を逃れています。
その後、中村與資平は静岡県教育委員として活躍。 昭和38年(1963.12.21)他界しました。
※中村與資平についてはこちらのサイトに詳しく記載されています⇒【中村與資平記念館別館

【参考文献】
教育愛知546号「豊橋市公会堂」豊橋市教育委員会文化振興課 1998
公共建築127号「豊橋市公会堂」森野富一著 1990

【2017年11月 訪問】
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