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2018.
12.16
Sun
常滑の土管4
 今年11月に常滑を訪問した際に、とこなめ陶の森資料館の企画展を拝見。
陶芸の町として有名な常滑が、土管製造により栄えていた事を初めて知りました。
とこなめ陶の森資料館の企画展
「近代日本を支えた常滑の土管」展
開期:2018/9/15(土)~12/24日(月・祝) 9:00〜17:00
休館:月曜日(祝日の場合は翌日)
会場:とこなめ陶の森資料館 特別展示室(愛知県常滑市瀬木町4-203)
料金:無料         ※詳しくはコチラ⇒【とこなめ陶の森資料館
常滑の土管1
手びねりの土管
常滑の土管木型
明治以降は木型で成型(常設展示室)
常滑の土管3
左:東京汐留遺跡から発掘された鉄道伏樋(=ふせび,明治後期) 右:陶管の木型
常滑の土管2
上:耐酸パイプ(1944~1945) 伊奈製陶及び日本碍子製
下:様々な配管継手
常滑焼
左:呂号燃料製造用の大甕(タンク)と耐酸パイプ
右:平和な時代にはタヌキも作っていたようだ (常設展示室)
元丸利陶管工場1
元.丸利陶管工場:木造に土壁の明治後期~大正時代の建物か?
常滑焼窯跡見学館の看板があったが訪問時は閉鎖されていた
元丸利陶管工場2
元.丸利陶管工場の一部は、名古屋芸術大学常滑工房になっている(愛知県常滑市栄町2丁目53)
常滑窯跡
常滑に残る窯跡
常滑窯跡内
この窯でも陶管を製造していたようで、陶管の木型が残る
常滑の塀
電纜管(電気ケーブル埋設管)を利用した塀
昭和59年(1984)焼成した土管・陶管の名称はセラミックパイプに統一された


 土管といえば「ドラえもん」に出てくる、空き地に置かれたコンクリート製が思い浮かびますが、その歴史は古く、寺院建築の伝来と共に瓦や土管(土樋)の技術が伝わったと云われています。
常滑では江戸時代から鯉江家が土管製造を開始。 明治に入ると木型を開発して神奈川県や鉄道局より受注。
明治18年に鯉江家が鉄道局の土管販売権を開放すると業社が乱立したため、翌年に常産商会(鯉江家)が官許を取得しています。
鉄道伏樋(地中埋設管/Drain)は横切る農業用水等を通すため線路下に布設された横断管路で、これらの鉄道や水道普及により全国(岩手・石川県を除く)で陶管が製造されました。
大正10年に伊奈初之丞(INAX創業者)が、大倉和親(ノリタケ・TOTO・日本ガイシ創業者)より多額の出資を受けて匿名組合.伊奈製陶所を設立。
伊奈伍助(初之丞の弟)考案の陶管製造機で大量生産するようになります。
昭和9年から伊奈製陶所の陶管工場.耐酸部が独立して白色の精炻器の製造を始め、戦時中はタイルや電纜管の生産を停止して、昭和19年から呂号燃料製造用の耐酸炻器を製造しました。
終戦後は進駐軍接収建物の改装用にタイルの生産が再開され、衛生陶器の試作も着手して昭和20年に手洗器・和式大便器が完成。
翌年に東京赤坂の三会堂へ洋式大便器・洗面器を納品したのを皮切りに、昭和22年から便器(汲み取り式)・手洗器の大量生産も開始しています。
一方で陶管の方は、上水道に塩ビ管が採用された昭和中期から生産が減少し、さらに阪神淡路大震災の影響を受けて、常滑では平成16年に陶管製造が終了しています。

【参考文献】
「近代日本を支えた常滑の土管」展リーフレット 2018
「伊奈製陶株式会社30年史」伊奈製陶㈱社史編集委員会1956
「工業調査彙報. 13(4)」商工省工務局 1935

【2018年11月 訪問】

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2018.
12.02
Sun
建築年:昭和2年(1927)
所在地:愛知県豊川市御津町御馬
見 学:個人宅のため通常非公開


旧今泉医院
 毎年秋に開催される愛知登文会(愛知登録有形文化財所有者の会)で2017年に特別公開された旧今泉医院では、古い医療器具も拝見できました。 ※詳しくはコチラ⇒【愛知登文会HP
現在は個人住宅となっておりますが、所有者の許可を得て今回は掲載いたします。
旧今泉医院・手洗い場
畑作業などで汚れた患者が手を洗う場所には、伊奈製陶(鳥の絵+INA SEITO CO.,LTD+ISマーク)の手洗い器が付く。
これには日本工業規格の『JIS』マークが無いので、昭和22~24年の物のようである。
◇菱形の中にISマークの社標は、大正13年~昭和18年と終戦後に使用された。(戦時中は違う社標)
常滑の伊奈製陶所→伊奈製陶(INA)→イナックス(INAX)となっていたが、近年統合されてLIXILになった時、寂しい気持ちになった人は少なからずいたと思う。 ※伊奈製陶についてはコチラ⇒【常滑の土管
旧今泉医院・水道
井戸水を高架水槽までポンプで汲み上げ、院内の水道に使用。
旧今泉医院・受付
左:玄関の照明           右:受付窓口
旧今泉医院・担架
室名札と担架
旧今泉医院・調剤室
調剤室
旧今泉医院・診察室
診察室
旧今泉医院・古写真
当時の様子(展示写真より)
旧今泉医院・器具
写真にある医療器具がそのまま残る
万力で固定された遠心分離器は、ハンドルで回す手動式
旧今泉医院・手洗い器
医療用の手洗い場(衛生陶器メーカーは確認できず)
旧今泉医院・床
診察室の床は天然リノリウム張り
旧今泉医院・天井
天 井
旧今泉医院・応接室
応接間は晩年の今泉忠男氏の寝室となった
旧今泉医院・洗面所
洗面所
和製マジョリカタイル
右上にある多色草花文レリーフタイル(メーカー不詳19C~20C初) INAXライブミュージアム蔵
先日、常滑を訪問した際にINAXライブミュージアムに立ち寄り、企画展を撮影したもの。
掲載のため写真を見返したら、色違いの同じタイルがあったので驚いた。
★企画展『和製マジョリカタイル―憧れの連鎖』 2018.11.03(Sat)~2019.04.09(Tue)
※詳しくはコチラ⇒【INAXライブミュージアム
旧今泉医院・2F1
2F座敷
旧今泉医院・2F2
2F次の間:畳は剥がしてある
旧今泉医院・病室棟
病室棟:住居として建てられたのだろうか?床の間付きの部屋が有る
当初は住み込みの看護師が二人いたが、閉院時には一人となった
旧今泉医院・病室
部屋の両側に廊下が付く
旧今泉医院・噴水
庭の片隅にある噴水
旧今泉医院・窓2

旧今泉医院2


 江戸時代に一色家の家臣であったという今泉家は、3代目・今泉龍蔵の頃に明治維新を迎え、赤根村の代官の任を解かれます。
その長男・健蔵は豊橋にある町医者の書生となり、医学書を書き写して勉強し、明治30年に医師開業免許を取得。
明治36年から御馬村に移転し、昭和2年に医院を新築。 昭和4年に東京から戻ってきた息子の忠男も診療に加わり、外来は父親、往診は息子が担当し、虫歯の治療から分娩まであらゆる診療を行いました。
昭和63年(1988)忠男の引退に伴い閉院し、現在は御子孫の方が住居としています。
旧今泉医院3
【参考文献】
旧今泉医院内の解説板
「伊奈製陶株式会社30年史」伊奈製陶㈱社史編集委員会1956
京都学園大学リポジトリ『幕末・維新期における尾張藩の「勤王誘引」活動』 松井 悠奈

【2017年11月 訪問】

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