2017.
08.20
08.20
Sun
建築年:明治中期、 改修あり
所在地:新潟県上越市仲町3-5-4
アクセス:えちごトキめき鉄道・高田駅~徒歩約5分
営業時間:昼 11:30~14:00/夜 17:30~22:00
休業日:第2月曜日(不定休)
TEL:025-524-2217 ※詳しくはこちら⇒【宇喜世】

高田に残る老舗の料亭で、地元の人々も冠婚葬祭などに利用してきました。
魚の卸し業から仕出し屋へ、江戸末期~明治初期に割烹料亭となり現在に至っています。
この料亭で予約無しでランチがいただけるとの事で訪問。
大広間でランチを賞味後、事前連絡しておいた部屋の見学を仲居さんの案内で拝見しました。
部屋が使用中でなく、仲居さんがお手隙であれば予約無しで他の部屋も拝見可能のようですが、やはり連絡はしておいた方が良いでしょう。

1F竹の間:高松宮宣仁殿下が使用された部屋

竹の間 (欄間:北村四海、襖絵:斎藤俊雄)

竹の間:床柱の絵は斎藤俊雄が描いたと云われる

庭園

左:新館への地下通路は現在は使用不可 右:1F階段

2F大広間の舞台:客数が少ない時は部屋が屏風で仕切られている

大広間の天井絵

舞台の反対側にある床の間の装飾

ランチ2種

2F階段ホール:手摺柱などは水車の部材を転用

2F水車の間:こちらにも水車の部材が

水車の間の装飾(左:囲炉裏、 右:飾り棚)

2F 月の間

2F 春の間

春の間 床柱の飾り

春の間 障子の飾り

3階への階段(右の写真は手摺柱のダルマの飾り)

3F 桜三階

桜三階の地袋:柱にはダルマのマスコットが

出窓の装飾

桜三階 床の間


特定の場所で営業権利を持つ町座は、越後には村上と高田にあったようです。
高田城下で町座の特権があったのは、小町・田端町・春日町・長門町・直江町・善光寺町など福島城下(直江津)から移転してきた町で、移転の代償として高田藩から許可されたもの。
そして宇喜世がある田端町(現:仲町3丁目)は鮮魚や四十物などの販売権を持っていました。
新潟県の年表(※1)によると高田藩は慶長13年(1608)魚の売買権を、元和7年(1621)肴・四十物の専売権を田端町に与えますが、江戸中期以降になると城下町以外でも商業が盛んになり、城下商人と在郷商人とのいざこざが勃発。 文政4年(1821)直江津今町の魚商人が、田端町の魚役衆を殴りつけ、両町が対立する事態となりました。
いつしか町座の恩恵も薄れ、明治に入って陸軍の駐屯地になると軍人向けの繁華街へと様変わりし、映画館や飲食店などもできて高田の町々は大いに繁盛しました。
※その他の高田の建物についてはコチラ⇒【旧今井染物店・旧金津憲太郎桶店・小林古径邸・第13師団長官舎・高田世界館】

【参考文献】
「新潟県のあゆみ」新潟県(越後佐渡デジタルライブラリー)
(※1)「新潟県史別編1 年表・索引」新潟県(越後佐渡デジタルライブラリー)
【2016年8月 訪問】
所在地:新潟県上越市仲町3-5-4
アクセス:えちごトキめき鉄道・高田駅~徒歩約5分
営業時間:昼 11:30~14:00/夜 17:30~22:00
休業日:第2月曜日(不定休)
TEL:025-524-2217 ※詳しくはこちら⇒【宇喜世】

高田に残る老舗の料亭で、地元の人々も冠婚葬祭などに利用してきました。
魚の卸し業から仕出し屋へ、江戸末期~明治初期に割烹料亭となり現在に至っています。
この料亭で予約無しでランチがいただけるとの事で訪問。
大広間でランチを賞味後、事前連絡しておいた部屋の見学を仲居さんの案内で拝見しました。
部屋が使用中でなく、仲居さんがお手隙であれば予約無しで他の部屋も拝見可能のようですが、やはり連絡はしておいた方が良いでしょう。

1F竹の間:高松宮宣仁殿下が使用された部屋

竹の間 (欄間:北村四海、襖絵:斎藤俊雄)

竹の間:床柱の絵は斎藤俊雄が描いたと云われる

庭園

左:新館への地下通路は現在は使用不可 右:1F階段

2F大広間の舞台:客数が少ない時は部屋が屏風で仕切られている

大広間の天井絵

舞台の反対側にある床の間の装飾

ランチ2種

2F階段ホール:手摺柱などは水車の部材を転用

2F水車の間:こちらにも水車の部材が

水車の間の装飾(左:囲炉裏、 右:飾り棚)

2F 月の間

2F 春の間

春の間 床柱の飾り

春の間 障子の飾り

3階への階段(右の写真は手摺柱のダルマの飾り)

3F 桜三階

桜三階の地袋:柱にはダルマのマスコットが

出窓の装飾

桜三階 床の間


特定の場所で営業権利を持つ町座は、越後には村上と高田にあったようです。
高田城下で町座の特権があったのは、小町・田端町・春日町・長門町・直江町・善光寺町など福島城下(直江津)から移転してきた町で、移転の代償として高田藩から許可されたもの。
そして宇喜世がある田端町(現:仲町3丁目)は鮮魚や四十物などの販売権を持っていました。
新潟県の年表(※1)によると高田藩は慶長13年(1608)魚の売買権を、元和7年(1621)肴・四十物の専売権を田端町に与えますが、江戸中期以降になると城下町以外でも商業が盛んになり、城下商人と在郷商人とのいざこざが勃発。 文政4年(1821)直江津今町の魚商人が、田端町の魚役衆を殴りつけ、両町が対立する事態となりました。
いつしか町座の恩恵も薄れ、明治に入って陸軍の駐屯地になると軍人向けの繁華街へと様変わりし、映画館や飲食店などもできて高田の町々は大いに繁盛しました。
※その他の高田の建物についてはコチラ⇒【旧今井染物店・旧金津憲太郎桶店・小林古径邸・第13師団長官舎・高田世界館】

【参考文献】
「新潟県のあゆみ」新潟県(越後佐渡デジタルライブラリー)
(※1)「新潟県史別編1 年表・索引」新潟県(越後佐渡デジタルライブラリー)
【2016年8月 訪問】
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