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2017.
12.03
Sun

建築年:大聖堂は昭和30年(1955.10)竣工、昭和31年(1956.5)献堂式
設 計:レーモンド建築設計事務所、 施工:白石建設㈱
所在地:東京都品川区上大崎4-6-22
TEL:03-3491-5461
アクセス:目黒駅~徒歩約3分
  ※詳しくはこちら⇒【カトリック目黒教会
目黒教会1
 聖アンセルモ目黒教会は、ドイツ系修道院のベネディクト会が昭和22年(1947.11.30)創設したもので、現在は『カトリック目黒教会』となっています
最低500人収容の聖堂と幼稚園などの設計を依頼されたアントニン・レーモンドは、幾つかの模型を作りながら2年かけて研究しました。
目黒教会・天井
大聖堂の天井と壁(RC打ち放し仕上げ)
仮枠を一定の形に建て込むのは非常に困難であったという。 一部に鋼製仮枠を試みて表面が滑らかで石の様に固く仕上げた
目黒教会・祭壇
天蓋(コンクリート+金箔仕上げ),十字架(鉄+七宝),祭壇(仙台石磨き仕上げ)
デザインはアントニン・レーモンド
目黒教会・聖櫃
左:聖櫃, 右:燭台と朗読台  デザインはアントニン・レーモンド
目黒教会・信者席
信者席
目黒教会・パイプオルガン
2階に合唱隊席とパイプオルガン
目黒教会・洗礼所
洗礼所(受洗盤はコンクリート)
ノエミのデザインによるステンドグラスは当初、資金不足のため着色プラスチックであったが長持ちしなかった
目黒教会・床
洗礼所の床
目黒教会・建具
左:スチールサッシの一部は開閉可能、 RC壁の一部ステイン塗仕上げ
右:玄関扉の金物
目黒教会・彫刻1
壁面彫刻『道行きの祈り』(鍛鉄+錆鉄):デザインはノエミ・レーモンド(夫人/デザイナー)
目黒教会・彫刻2

目黒教会5
大聖堂外部(当初…外壁一部:ステイン塗、屋根:アスファルト防水+アルミ箔)
裏手に修道院や司祭館などがある
目黒教会・屋外通路
大聖堂から別棟へと続く屋外通路
目黒教会・CTIC3
当初は幼稚園と信徒会館であったが、現在はカトリック東京国際センター(CTIC)として外国人のサポート活動を行っている。
目黒教会・CTIC1
CTIC 玄関
目黒教会・CTIC2
CTIC 階段
目黒教会6
施工した白石建設㈱は、アメリカ大使館宿舎を担当した技師が創業した会社。
その仕事ぶりが評価され、独立後もレーモンドから多くの仕事を任せられた。


 創立者のヒルデブランド・ヤイゼル神父(修道院長/主任司祭)はスイスで生まれました。
昭和6年(1931)ベネディクト会(独)の修道院を建てるために来日。 当初は神奈川県茅ヶ崎に木造の殿ヶ丘修道院を創設しましたが、昭和15年(1940)閉鎖されて神学校の教授となります。
 開戦後に拘束を免れたヒルデブランド神父は、昭和17(1942)からスイス大使館員として関東~東・北日本の捕虜収容所や民間人拘留所へ訪問し、秘密裏に報告。 収容所では残酷な仕打ちはなく、有償労働しない士官もいましたが、食事は徐々に貧しくなったようです。
 昭和20年(1945.4)日本政府の重臣による極秘会議に参加。 天皇に真相を話してもらうようローマ教皇からお願いするという列席者の提案は却下され、それ以降は監視も厳しくなったとの事。
 終戦後はマッカーサーから勲章をもらい、従軍司祭となります。 半年間アメリカで講演した際に受け取ったパーカー将軍(少将?)の手紙を持ち、帰国後の昭和22年(1947.4.9)マッカーサーと面談。 アメリカ各地に設置された軍用郵便局経由で民間人から多額の献金を受けます。
 さらにクリスチャンであった片山首相が、軍需工場跡地を聖堂建設地として提案。 日本政府/進駐軍から難癖を付けられますが、マッカーサーの一声で決定しました。(旧工場を教会としてしばらく使用)
 後年、二人はニューヨークのホテルで再会。 マッカーサーは中国・ロシアの事に言及し、アメリカの現状及び将来について大きな憂慮を示していたそうです。

【参考文献】
「自伝アントニン・レーモンド」2007 鹿島出版会
建築文化117「聖アンセルモ目黒教会」 1956 彰国社
「ヒルデブランド神父自伝: 在日50年の回顧」1989 中央出版社

【2016年11月 訪問】

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