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2017.
12.17
Sun
建築年:大正13年(1924)、 大改修は平成14年(2002)完了
設 計:レーモンド建築設計事務所、 施工:清水組
所在地:東京都品川区荏原2-4-41
アクセス:東急.戸越銀座駅~徒歩約8分 or 都営地下鉄.戸越駅─徒歩約10分
TEL:03-3786-1011
  ※詳しくはコチラ⇒【星薬科大学
星薬科大学1
 F.L.ライトの下で帝国ホテルの詳細図やパースを担当したアントニン・レーモンド。 その影響が残る日本での初期作品です。
レーモンドの事務所に学校の概要書を手にした星 一が清水揚之助(清水組)らと来所。 基本設計が翌日の夕方に完成し、多少の質問をした程度で星が実施図を依頼。 構造計算無しで設計されましたが、建設中に起きた関東大震災では被害が無く、戦争や東日本大震災でも被災せずに現存しています。
関東大震災(1923)では、レーモンドが設計した他の建物(後藤邸・東京テニスクラブ等)も殆ど被害が無く、東京女子大学だけ暖房機と水槽が被災したとの事。 
この頃はレーモンドにとってRC造の実験期で、清水組の協力でRC打ち放し仕上げを試みていますが、部分的にしか成功せず、仕上げにモルタルとペイントが使われました。 やっと成功したのは、この後に完成したレーモンドの自邸(1924)でした。
星薬科大学・スロープ2
ホール内から玄関方向を見る
星薬科大学・スロープ1
2階出入口
星薬科大学・スロープ3
3階まで通じる圧巻のスロープ
星薬科大学・スロープ4
スロープ床の滑り止め加工(コンクリート)
星薬科大学・壁画1
大壁画『薬狩
昭和18年(1943.5.18)創立記念日に大壁画『薬狩・鹿茸狩』お披露目、 昭和31年(1956)・平成8年(1996)修復完了
星薬科大学・壁画2
大壁画『鹿茸狩
星薬科大学・講堂1
講堂ステージ
レーモンドは舞台にも詳しかったようだ。 NYで独立した時の初仕事は舞台装置で、さらに兵役中に知り合ったストラビンスキーとの縁で「村の結婚」も手掛けている。
星薬科大学・講堂2

星薬科大学・講堂4
座席は更新済み
星薬科大学・講堂7
出入口ドア
星薬科大学・講堂5
ライトの影響が残る装飾
星薬科大学・講堂8
講堂内部にもスロープが
星薬科大学・講堂3
ステージ下の内部
星薬科大学・講堂6
左:ホールの照明              右:舞台袖の螺旋階段


 星薬科大学は、星 一が星製薬㈱の工場内に夜間学校を設置したのが始まりです。
大正3年(1914)女性従業員のために設置され、家事裁縫などを教育。 大正5年に教育部(普通科/別科)として認可を受けます。
星製薬商業学校(1922~)になると特約店の子女向けに薬業教育を実施。 
創立10周年の大正13年(1924)に本館が完成し、11月14日に大講堂開堂式が行われると、ノーベル賞学者・ハーバー博士が講演しました。
昭和16年(1941)から星薬学専門学校になりますが、戦時中の昭和20年(1945.5.24)に寄宿舎・実験室などの木造校舎が焼失。
同年9月28日この本館が進駐軍に接収されると、工場内の仮校舎で授業を継続します。 
そして昭和24年(1949.7.15)進駐軍による校舎接収が解除されると、その翌年に星薬科大学が設立されました。
しかし、星 一が昭和26年(1951.1.19)滞在先のロサンゼルスで亡くなり、一時的に長男・親一(作家・星新一)が会社を継承するも既に経営破綻しており、翌年に大谷米太郎へ譲渡されました。
星薬科大学2
 星 一は、星喜三太(県会議員)の息子として明治6年(1873)福島で生まれ、平町の塾で英語を学びます。
まずは日本を知るため留学資金を使って古本を買い、それを売りながら西日本を旅します。 明治27年に渡米しますが、アメリカ在住の日本人に貸した金が戻らず、個人宅の使用人として働きながら学費を稼ぎます。 それでも学費が半分しか出せず、倍の年数を掛けてコロンビア大学卒業。
在学中に中央新聞社主・大岡育道を案内した関係で、随伴してパリ万国博覧会の通信員に。 日米週報や月刊Japan&Americaも発行しています。
帰国すると資料を熟読し、商売を始めるため街を観察。 金物・履物・製薬のうち、世界中に販売できる製薬業に決定。
数社の製薬会社を買収し事業を拡大、南伝馬町(京橋)に社屋と、大崎町(現:西五反田)や埼玉の蕨に工場を建設しました。
関東大震災で南伝馬町にあったRC造7F社屋が、床・柱に亀裂、木部焼失で使用不可能に。
大正14年に人類学者・小金井良精の次女・精と結婚、翌年に親一(作家・星新一)誕生。
戦後の星製薬工場は空襲被害が少なく再稼動でき、学校も木造施設は焼失したものの本館は無事でした。
その後、大崎の工場跡地は五反田TOCビルとなり、南伝馬町の社屋は中央生命の手に渡り、現在は京橋第一生命ビルディングが建っています。
借金王と言われた星 一は事務所を寝室にし、衆議院議員になっても愛宕下の長屋から自転車で通う程、仕事一筋の人生でした。

【参考文献】
「自伝アントニン レーモンド」1970 鹿島研究所出版会
建築文化173「打放しコンクリートを再考する 私はなぜ打放しをやるか」A・レーモンド著 1961
「職工ノ福利増進施設概要. 大正12年7月1日現在」 東京府 1924
「大正大震災震害及火害之研究」 営繕管財局 1925 洪洋社
「星薬科大学100周年記念写真集」2011 星薬科大学
処世実話全集.第10巻「私の歩いてきた道」星 一 著 1938 金星堂

【2016年11月 訪問】

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