所在地:埼玉県川越市 連雀町8
建築年:明治31年(1898)頃 改修あり
構 造:木造2階建て、地下有り
見 学:現在は閉鎖中
交 通: 西武新宿線 「本川越」 駅~徒歩10分
東武バス 「蓮馨寺」or「中原町」 バス停~徒歩1分

訪れた5月18日(土)は、偶然にも川越文化祭(川越青年会議所主催)が開催され、各所で様々な催しが行われており、『茶陶苑(詳しくはコチラ⇒【山崎家】)』を出た頃には、既に夕方になっていました。
大正浪漫夢通りでは、川越文化祭の後片付けが始まっていましたが、祭りが終わっても帰りたくない人々が、名残惜しげに余韻を楽しんでいます。
本川越駅方面に向かって帰る途中、立門前通りにある、普段は閉館しているはずの映画館の扉が開いていました。
どうやら、子供達の絵画発表会が行われていたようで、館内にはパーテーションが何枚も建てられ、子供達の様々な絵が飾られておりました。
こちらも同じく、既に撤収が始まっており、スタッフの許可を得て見学させて頂きました。

ロビーは閉館後に一部を改装。天井裏の碍子が昔を物語る。

現在の館内は、映画館時代の椅子が全て取り払われ、舞台と2階がある体育館の様な印象。

2階の映写室側。 天井の換気口は後付け?

ホール中心にある天井飾り。漆喰ではなく木製(金属製?)の様に見える。
竣工時はどの様な照明がぶら下がっていたのだろうか。

2階席の装飾は、既製品のモールディングを使用。

左:舞台手前にある調査用に掘られた床下。 花道があったか?煉瓦造の奈落が見える。
右:タイル装飾は、木の柱に直接タイルを貼り付けた乾式工法。

舞台には、この場所で使われたという衝立が展示されていた。

舞台下手袖の天井。 屋根裏がそのまま見える。

舞台裏の楽屋へ行く手前のスペース。 手前の穴は奈落への出入口。
照明もなくカメラのフラッシュだけで撮影したが、あまりにも真っ暗で怖く、楽屋と木造の回り舞台装置がある奈落には入れなかった。
この映画館は、蓮馨寺(れんけいじ)境内に『松蓮座』として明治初期に創設し、明治26年(1893)の大火で、蓮馨寺と共に焼失した後、明治31年(1898)頃、『川越座』として現在の地に建てられたものです。
その後『鶴川座』と改称し、大正時代には活動写真、昭和に入ると映画などを興行。
『川越プラザ劇場』として、昭和30年代には最盛期を迎えました。
そして、映画の全盛期を過ぎた頃から、ポルノ映画などで経営を維持しましたが、家庭向けビデオの普及と共に客足が減り、平成10年頃に閉館へと追い込まれてしまいました。
建物の内外装は、大正から昭和にかけて何回か改装が行われています。
さらに閉館後も、イベント等で椅子等が全て撤去され、「仮面ライダーW(TV朝日2009~2010)」の『かもめビリヤード場』として撮影に使用されました。
現在は、川越市の景観重要建造物指定候補となり、芝居小屋へと復活すべく、平成27年度~30年度にかけて、歴史的風致維持向上計画の保存整美事業が実施される予定です。
※詳しくはコチラ⇒【川越市HP】
各地ではこの様に、古い芝居小屋や映画館が復活しており、川越スカラ座や、新潟の高田にある『高田世界館』も有志により、映画が上映されるようになりました。
※詳しくはコチラ⇒【高田世界館】
この近くにある蓮馨寺(れんけいじ)は、天文18年(1549)武蔵国河越城主・大道寺駿河守政繁の母君が、甥の感誉存貞上人を招いて平方村(現・上尾市平方)に開山。
永禄1年(1558)政繁が川越に建立寺(移転し見立寺と改称)を建立し、さらに蓮馨寺を川越に移しました。
そして、増上寺10世を経て、再び川越に戻ってきた存貞上人に両寺を兼務させました。
蓮馨寺は、江戸時代に入ると徳川家より「関東十八檀林」の一つとして葵紋を掲げることを許され、多くの僧侶を育てたという格式の高い寺院です。
境内には、各地を巡っては雨を降らせ、飢饉で苦しむ農家の子供を養育したという、呑龍上人を祀る『呑龍堂』があります。 江戸時代から毎月8日に縁日が開かれ、見世物小屋や遊技場が立ち、門前町の堅門前(現・立門前通り)や猪鼻通り(現・大正浪漫夢通り)にある店々も大いに賑わったそうです。
【2013年5月 訪問】
建築年:明治31年(1898)頃 改修あり
構 造:木造2階建て、地下有り
見 学:現在は閉鎖中
交 通: 西武新宿線 「本川越」 駅~徒歩10分
東武バス 「蓮馨寺」or「中原町」 バス停~徒歩1分

訪れた5月18日(土)は、偶然にも川越文化祭(川越青年会議所主催)が開催され、各所で様々な催しが行われており、『茶陶苑(詳しくはコチラ⇒【山崎家】)』を出た頃には、既に夕方になっていました。
大正浪漫夢通りでは、川越文化祭の後片付けが始まっていましたが、祭りが終わっても帰りたくない人々が、名残惜しげに余韻を楽しんでいます。
本川越駅方面に向かって帰る途中、立門前通りにある、普段は閉館しているはずの映画館の扉が開いていました。
どうやら、子供達の絵画発表会が行われていたようで、館内にはパーテーションが何枚も建てられ、子供達の様々な絵が飾られておりました。
こちらも同じく、既に撤収が始まっており、スタッフの許可を得て見学させて頂きました。

ロビーは閉館後に一部を改装。天井裏の碍子が昔を物語る。

現在の館内は、映画館時代の椅子が全て取り払われ、舞台と2階がある体育館の様な印象。

2階の映写室側。 天井の換気口は後付け?

ホール中心にある天井飾り。漆喰ではなく木製(金属製?)の様に見える。
竣工時はどの様な照明がぶら下がっていたのだろうか。

2階席の装飾は、既製品のモールディングを使用。

左:舞台手前にある調査用に掘られた床下。 花道があったか?煉瓦造の奈落が見える。
右:タイル装飾は、木の柱に直接タイルを貼り付けた乾式工法。

舞台には、この場所で使われたという衝立が展示されていた。

舞台下手袖の天井。 屋根裏がそのまま見える。

舞台裏の楽屋へ行く手前のスペース。 手前の穴は奈落への出入口。
照明もなくカメラのフラッシュだけで撮影したが、あまりにも真っ暗で怖く、楽屋と木造の回り舞台装置がある奈落には入れなかった。
この映画館は、蓮馨寺(れんけいじ)境内に『松蓮座』として明治初期に創設し、明治26年(1893)の大火で、蓮馨寺と共に焼失した後、明治31年(1898)頃、『川越座』として現在の地に建てられたものです。
その後『鶴川座』と改称し、大正時代には活動写真、昭和に入ると映画などを興行。
『川越プラザ劇場』として、昭和30年代には最盛期を迎えました。
そして、映画の全盛期を過ぎた頃から、ポルノ映画などで経営を維持しましたが、家庭向けビデオの普及と共に客足が減り、平成10年頃に閉館へと追い込まれてしまいました。
建物の内外装は、大正から昭和にかけて何回か改装が行われています。
さらに閉館後も、イベント等で椅子等が全て撤去され、「仮面ライダーW(TV朝日2009~2010)」の『かもめビリヤード場』として撮影に使用されました。
現在は、川越市の景観重要建造物指定候補となり、芝居小屋へと復活すべく、平成27年度~30年度にかけて、歴史的風致維持向上計画の保存整美事業が実施される予定です。
※詳しくはコチラ⇒【川越市HP】
各地ではこの様に、古い芝居小屋や映画館が復活しており、川越スカラ座や、新潟の高田にある『高田世界館』も有志により、映画が上映されるようになりました。
※詳しくはコチラ⇒【高田世界館】
この近くにある蓮馨寺(れんけいじ)は、天文18年(1549)武蔵国河越城主・大道寺駿河守政繁の母君が、甥の感誉存貞上人を招いて平方村(現・上尾市平方)に開山。
永禄1年(1558)政繁が川越に建立寺(移転し見立寺と改称)を建立し、さらに蓮馨寺を川越に移しました。
そして、増上寺10世を経て、再び川越に戻ってきた存貞上人に両寺を兼務させました。
蓮馨寺は、江戸時代に入ると徳川家より「関東十八檀林」の一つとして葵紋を掲げることを許され、多くの僧侶を育てたという格式の高い寺院です。
境内には、各地を巡っては雨を降らせ、飢饉で苦しむ農家の子供を養育したという、呑龍上人を祀る『呑龍堂』があります。 江戸時代から毎月8日に縁日が開かれ、見世物小屋や遊技場が立ち、門前町の堅門前(現・立門前通り)や猪鼻通り(現・大正浪漫夢通り)にある店々も大いに賑わったそうです。
【2013年5月 訪問】
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